719. 後考記
 1999年に和歌山県で開催されたジャパンエキスポ南紀熊野体験博。後に世界文化遺産に登録されることになる熊野古道など、南紀の自然全てを会場に見立てた形のない博覧会でした。今では当時のことを知る人も少なくなっていますが、パビリオンを競う囲い込み型ではないオープンエリア型の着想は時代を先取りしているようで斬新でした。

 熊野古道を歩いた天皇や上皇が記した記録は御幸記として伝えられていますが、この博覧会で事務局次長を務められた嶋田正巳さんの記念冊子は「後考記」として2009年に形となりました。
 丁度2009年4月29日が南紀熊野体験博の開会式から10周年となったことで、当時の実行委員会メンバーが集まる機会がありました。その時に嶋田さんが配布してくれたものです。読み返してみると、本当に懐かしく、そして思い出がよみがえりました。地方自治体が博覧会を企画、運営する、和歌山県が将来の夢を持ち、未来志向のある県であったことを感じさせる博覧会だったような気がします。

 誰でも心に持っている「あの頃」。社会人として毎年過ごしていると、「あの頃」と呼べる仕事に関われる機会はそれほど多くないことに気づきます。昨年のメインの仕事は何だったのだろう、ここ10年で誇るべき仕事はあるのだろうかと、自問しても答えは返ってこない場合が多いのです。1999年のメインの仕事は南紀熊野体験博だったと言えることは誇りです。
 10周年記念の嶋田さんの「後考記」に、私の拙文を掲載してもらいました。「新後考記」とあるのは、博覧会終了後、嶋田さんが最初の「後考記」を作成していたため、今回のものを新と表現したものです。

新後考記に寄せて

 年月の経つのは本当に早いものです。2009年の今、南紀熊野体験博が開催された1999年から10年が経過しています。世紀末に発信した癒しと蘇りのテーマは、新しい世紀にとっても尚、私達が追及し続けているテーマとなっています。
 癒され心身とも蘇らせてくれる環境は未だ周囲の環境にはなく、時に熊野本宮へ向かうことがあります。特にあの時には感じなかった熊野本宮大社旧社地の大斉原の霊験な雰囲気には圧倒されます。和歌山県出身の歌手のその地でのライブやイベントにも訪れました。 

 それも素晴らしいのですが、何もない静寂の空間が、空気と一体化させてくれるような気持ちにさせてくれて素晴らしいのです。これは多分、体験博を体験していなければ感じなかった感覚です。10年前のイベントとは違った魅力を感じる熊野本宮が、ひっそりとそして存在感を保ったまま姿を変えずに存在してくれていることを嬉しく思います。

 ただ人は移り変わっていることを寂しく感じます。垣平局長が県庁を退職され、嶋田副局長が県立医科大学付属病院に移られ、直属の上司であった増井部長も、平成21年3月に人事委員会事務局長を最後に退職されました。当時、実行委員会の部長級の皆さんの所属が変わっていることに10年の歳月を感じます。

 御幸記から後考記に、そして今回の新後考記へと物語は進みました。熊野は変わらず、人は常に移り行きます。移り変わる人が、変らぬ原点を求めて熊野を訪れてくれているのは、南紀熊野体験博の最大の成果だったのではないでしょうか。
 この物語が次の世代でも変わらずに語られていることを願いながら、次に続く2009年の物語を今の私達が創りたいと思っています。

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