662.お礼
 2009年の元旦に訃報が入りました。和歌浦の実家を守ってくれていた叔父の片桐松二さんが今朝、お亡くなりになりました。私の父が長男ですが、次弟の松二さんが実家の商売を継いでくれていたのです。一週間ほど前から容態が変化、大晦日の昨日、容態がさらに変化し今朝、この世を去りました。
 新年のお祝いの時に一人の遠尊い生命が失われました。新年の明るい光と、生命が辿り着く死という闇のコントラストを感じざるを得ませんでした。光があるところには影がありますから、人は生と死を持ち合わせていることは当然のことなのですが、元旦の日の死の場面は辛いものがあります。

 生命を燃やして生きていくことを2009年「元気&前進」の目標に刻んでいますが、いきなり初日に、この意味を噛みしめることになりました。人は誰も死を避けられません。一年時が進むことは、また一歩、死に近づいていることを意味しています。確実に死に至る過程を生きている私達ですが、その道は暗いものではなくて明るい道が続いています。日の当たる道がやがて薄暮期に入り、そして月明かりが照らす道へと向かいます。朝日を浴びて誕生した生命は、月の光に見送られてこの世を去ります。ずっと以前から続いている神聖な儀式はこれからも繰り返され続けます。私もやがて、この儀式に身を委ねる時がやって来ることを思いました。生命の輝きが消える瞬間、それは確実にやって来るのです。
 輝きが強烈であればあるほど生命の対照を感じさせます。 

 松二さんがまだ元気な時、「議会に一度行ってみたいから登壇する時には声をかけて欲しい」と笑って話してくれたことを思い出します。当時は和歌山市議会でしたが、その言葉の直近の一般質問の登壇の日時を連絡したところ、約束通り議場に来てくれました。一般質問の場所から傍聴席ははっきりと見ることができます。当時でも少し身体が弱っていた関係で、松葉杖で傍聴席に来てくれたのです。 

その後、体調を崩して入退院を繰り返してきました。もし連絡が遅れていたら、議場に来てもらえる時は永遠に訪れなかったのですから、今振り返ると「来てもらっておいて良かった」の一言です。一度だけでも議場の姿を見てもらったことに感謝したくなります。

 松二さんの下から、過去と昨日まで存在した現在だけが残り、明日が消えました。私の小さい頃、松二さんは若くて元気に働いていました。和歌浦の家の一階が魚屋でしたから、二階でよく遊びました。店先での「いらっしゃぁい」の威勢の良い掛け声が耳に響いたように感じました。あの頃の明光通り商店街は本当に活気がありました。私が幼稚園から小学校の頃でしたから、当然背丈が低いので目線も低く、大人の合間に埋もれた目線で商店街を見ていましたから、多分、本当の商店街の姿よりもずっと人が大きく多く、見えていたかも知れません。それを差し引いても迷子になりそうな勢いがありました。しかしそれはもう40年も前のことです。
 和歌浦の実家の前にあったスーパーのゴトウ本店は和歌浦口に店舗を移転させました。その時朝から晩まで働いていた先代も今はいません。ゴトウ本店の横にあった洋菓子店の春栄堂も元の場所から移転しています。当時の人もお店も姿を消してしまっています。
 そんな全盛期の明光通りを見てきた松二さんも商売を辞めて、再び賑わいを見ることはなく、今日この世を後にしました。

 人に容赦なく時代は変わりますし社会も変わります。同じように見えても、今いる人の姿も変わります。今はここにいる私も、やがて向こう側からこの光景を眺める時が来るのです。その時に「もっと頑張っておけば良かった」、「あの時に決断しておけば良かった」などの思いを持たないように、今だけを生きられる人として強く思っています。
 今日後回しにした仕事は、多分いつも後回しにしてしまいますから、やり遂げることはありません。いつかやろうと思っていることを実現する機会は訪れません。明日ノートに書こうと思っていた頭に浮かんだ素晴らしいアイデアは明日になると消え去っているもので、具体的にノートに書くことは叶いません。

 つまり、やりたいことは優先順位を上げる。いつかやるのではなくて今から着手する。そして具体化させたいことは頭に任せないで、直ぐに具体的に書くことです。それがこの世にいる間に、自分がやりたいことを実現させる方向に向かわせるための秘密です。
 間違いなく40年前よりも今の方が夢を実現し易い時代に変わっています。人生を生きた先輩達が苦労をして、食べることや生活することに四苦八苦する状況から脱出させてくれたからです。

 その恩恵を受けている今を生きている私達は、もっと、もっと、もっと、夢を現実のものにすることが容易な時代に作り上げなければなりません。今のままで次の世代に引き継いでいたのでは、私達世代の名折れです。絶対に時代を前進させることを約束したお別れです。
 時代を切り拓いていただいて、ありがとうございました。もう苦しむことはありませんから、安らかにお眠り下さい。

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