612.野口英世博士
 ご縁あって福島県猪苗代町を訪れたことから、野口英世博士に関心を持ちました。日本銀行の千円札にもなっているように日本が誇る偉人中の偉人です。しかし毒蛇の研究に梅毒スピロヘータの研究、黄熱病の研究などの業績などを挙げられるだけで、子どもの頃に読んだ伝記程度の知識があるだけでその姿を知りませんでした。
 貧しい家庭に生まれ育ち、苦学の中から世界が認める細菌学者として立身出世をした歴史上の人物というのが一般的ですが、その実像はかなり違ったもので驚いています。

 脇目も振らないで研究に没頭していたかというとそうでもなく、共同研究は全く苦手で個人の研究が中心の個性的な人物であったこと。そしてアメリカに渡った時も、何の約束もなかったのに、ペンシルバニア大学医学部に転がり込んだこと。そこで何日も通って私的な助手として雇われたことから研究者への道が開けたこと。雇われた理由も「毒蛇について研究したことがありますか」との問いに対して、野口博士は毒蛇に触ったこともなかったけれども「ハブならあります」と答えたことから雇用が決まったことなど、予想もしえないような人間像がありました。

 猛勉強で世界に飛び出したのではなく、勿論、人の三倍も勉強と研究を行っていますが、冷静で勤勉な人物ではなくて、良い意味でいい加減で、後先のことや勝算を考えないでまず行動しています。
 研究に関しても試験管の洗浄から実験動物への駐車など、本来なら助手の仕事であっても、全て自分で行ったことから、誰よりも経験を重ねることができ、誰よりも早く原因となる細菌を発見することが出来たのです。行動の結果、成果が伴い、次々と幸運が舞い込んできたというのが博士の本質の部分だと思います。

 研究は現場を知ることから始まること。地位が上がり偉くなっても現場を離れなかったこと。知っていても論文として発表しなければ誰にも知られないので、いつまで経っても認められないこと。など、仕事のスタイルで学ぶべきことは多くあります。
 勿論、博士は人間発電機(ダイナモ)とも呼ばれていたように、いつ寝ているのか分からなかった程、人並み外れた努力を重ねた人ですが、決して聖人ではなかったようです。そんな人間臭さを超越した実績を残していることから神格化されているのです。
 そして郷土福島県でそれを最大限に称える記念館が設置されていることは、故郷の人に誇りを与えていると共に子ども達に夢を与えるものです。偉人が身近な存在であり続けることで、やがてこの地から第二の野口博士を生み出すかも知れません。

 さて私達の和歌山県にも歴史上の偉人が大勢存在しています。ところが全国と比較した歴史の中で埋もれている人か多いように感じています。和歌山市内には郷土の偉人記念館は少ないように感じていますが、現代の私達は、それを伝える義務があると考えるようになりました。郷土の偉人を誇りに思えるためには、今の大人が偉人の業績を次世代に伝える取り組みが必要なのです。

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