584.人生最後の過ごし方
 高校時代からの友人の関君は、生命の最後の瞬間が迫っていることを知ってから最後の1年間、自分の好きなことに貪欲に挑戦していました。病に伏せることなく、人生の最後まで生き抜いていたのです。やりたいことを残さないでこの世を去りたい。思っていても実際にやれるかどうかは、自分がその立場に立たない限り分かりません。ですから最後の瞬間までやれることをやった彼の生き方は凄まじく、素晴らしいと思わざるを得ません。

 ひとつ。大型二輪車を購入してツーリングに行っていました。若い頃は北海道までもツーリングしていましたが、最近は仕事と両立するため和歌山県内を中心として走っていたそうです。

 ふたつ。白浜にあるリゾートマンションを買って、そこから仕事場である病院へ通勤していました。住環境を良くして24時間快適な暮らしを求めたのです。若い頃には病院内の一室を自宅として暮らしていたくらい苦労をしていたのですが、最後は温泉付きで窓からの景色が良い環境に身を置いたのです。

 みっつ。外車のボルボを購入して走りを楽しんでいました。とても高価な自動車ですが、最後に好きな車を購入して生活の中での走りも楽しみのひとつとして取り込んでいました。

 よっつ。美食家であったことから、美味しいお店があれば毎月のように食を楽しみに行っていました。

 このように限られた時間と与えられた最後の一年間は死を待つのではなくて、大型二輪、外車、リゾートマンション、グルメなど。そして人生を賭けようとして選択した仕事である獣医師としての仕事は最後の一日前まで看護士に指示を出していました。自分の人生の中で価値観の高いものから順に楽しんでいたのです。正に「最高の人生の過ごし方」を実践した同世代でした。

 ただ待つことも死と向き合う恐怖との闘いで相当厳しいと思いますが、それを乗り越えて人生でのやりのこしを無くするために、楽しむことで死と向き合おうとしていたのです。
 それでも最後の二ヶ月は身体が苦しくて、自宅から外に出られなかったそうです。家族が「苦しみを和らげるために入院して」と頼んでも、最後まで「自宅で最後を迎えたい」として首を縦に振らなかったそうです。

 高校時代から頑固者でしたが、その生き方も最後まで貫き通していたのです。好きなことを実践した人生だった点が私とっては救いです。決して長くはなかった人生ですが、本当に生きた時間の長さは、周囲の誰にも負けていなかったと思います。苦しい闘いに最後まで立ち向かったこと、本当にご苦労様でした。
 関君と出会っていなかったら、今と全く違う人生を過ごしていと本気で思っています。高校時代からの30年間。楽しい思い出を作ってくれて、本当にありがとうございました。
 最後に贈った言葉です。「心からお悔やみ申し上げます。あなたのことを忘れることはありません。永遠に」

 告別式終了後、関君のおじさんでボクシングコーチの経験のあるMさんと話しました。「いつも期待しています。これからは良規の分まで頑張って下さい」と告げられました。その通りです。今は30年が崩れ落ちた感じがして精神力が低下していますが、明日からは大丈夫です。関良規君のこれからを背負って一緒に生きたいと思っています。いつか天国で会う日が来ると思いますが、その日まで見守っていて下さい。今まで本当にありがとう。

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