454.来年も
 丁度1年前の平成18年8月、健康診断を受けたYさんの診断結果は予想もしなかったものでした。肺の近くに不信な影があったのです。直ぐに検査入院したころ、知らされた結果は肺癌とリンパ癌だったのです。
 健康で仕事をしていただけに全く予期しない事態となり、即日入院、抗癌治療、そして癌との闘いに突入したのです。入退院を繰り返し、気力を振り絞って闘っていました。 
 そして再検査したところ、癌細胞は小さくなるどころか逆に大きくなっていたのです。さすがにYさんの気力は萎えてしまいました。これだけ頑張ったのに、苦しい治療に立ち向かったのに、一向に良くならないことから、元気をなくしてしまいました。一人、入院ベッドでいると悪い考えだけが膨らんできます。

 そんな時、話し相手が必要です。昔からの友人のK医師は、神様は絶対に見放さないからと元気付けました。そしてこれまでも頑張ってきたのだから、これ以上頑張ってとは辛くて言えないと私に話してくれました。
 私はYさんに、「絶対に大丈夫です。皆が元気に退院してくる日を楽しみにしています。昔のように元気に騒いで楽しい時間を過ごしましょう。三ヵ月後の回復を信じているので、お店を予約しておきます」と話しました。

 もうこれ以上頑張れとは言えないけれど、それでも頑張って癌に打ち勝ってくれると信じています。絶対に、絶対にあきらめない気持ち。Yさんの境遇と比べたら、私はどれだけ恵まれた日常活動を行えているのでしょうか。私こそ、頑張らなくてはならないのです。

 そして一年後の、平成19年8月中旬、再び病院に入院して癌との闘いを始めました。依然として状態の改善は見られないのが気がかりですが、今も病院の中で必死の闘いを繰り広げています。
 この病との闘いは体力の低下も去ることながら次第に気力が萎えてくるのが怖いところです。回復を感じられない中、同じような治療を続けることで前向きな気力が続かなくなるようです。今日と同じような明日が来る、当たり前のことですが、これが希望であり前進させてくれる気力になっていることに気付かされます。

 明日が来るかどうか分からない状態からは希望は生まれませんから、本当に厳しい闘いです。毎日の繰り返し、夏から秋へ移り変わることが自然に感じられること自体が素晴らしいことなのです。
 自分がいなくても世界は変わらないと言いますが、これは間違っています。ある哲学者によると、自分が消えると世界も消えてしまうそうです。何故なら、世界があると感じられるのは自分に意識があるからで、その自分の意識が消えることで世界は消えてしまいます。つまり自分という存在がなくなると世界の存在は消えてしまうのです。誰かが見ている世界は存在しますが、自分が見ている世界はなくなるのです。ですから自分の存在はとても大切なものです。

 そして間接的に見守っている医師。「今までも耐えてきたので、これ以上頑張って欲しいとは言えません。人は誰でも死にます。いずれにしても短い人生ですから悔いのないように生きて欲しいと願っています。私も5回の手術と12回の入院生活を繰り返して来ました。もう何度死ぬと思ったことでしょう。それと比較したら大丈夫です。今はゆっくりと治療に専念して下さい」。優しく見守っていることが分かります。
 そして今患者となっているYさんは、私にとって大切な恩人です。再び巡ってくる来年の暑い夏、いつもと同じようにバーベキューを囲みたいものです。

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