434.不安と未来
 平成19年5月30日、ホテルオークラ神戸で、女優、藤原紀香さんとタレントの陣内智則さんの結婚披露宴が行われました。 披露宴の模様はテレビでも中継され瞬間視聴率40%を超えたように、ご覧になられた方も多いと思います。格差婚とも揶揄されていますが、良くお似合いの本当に素晴らしいお二人です。

 中でも印象的だったのは、ふたりの現在までに至る人生の歩みを紹介したストーリーです。藤原紀香さんは、女優としての地位を確立していますが、決して順風な道のりではありませんでした。彼女は関西でモデルとして活動していたのですが1997年に発生した阪神淡路大震災を契機として、一度きりの人生だから悔いのないように生きたい、と思って東京に行くことを決意します。
 人生、一歩先は何が起きるか分かりません。特に自分が育った神戸市の震災後の状況から、やりたいことをしないで何が人生なのかを強く感じた筈です。何の確信もない状態で東京での活動に自らの人生の舞台を移したのです。この時、現在の成功も女優の地位も全く見通せるものではなく、あるのは不安だけだったようです。

 一方、同じ頃、陣内さんは、吉本興業に所属していたものの、売れてはいませんでした。それどころか、今日の表現を借りると「最も面白くない芸人」とも言われていたそうです。全く将来の見通しもなく、不安ばかりの時期がありました。
 丁度、二人にとって夜明け前の時期だったようです。振り返ると不安な時期を乗り越えて、一人は女優、ひとりは売れっ子のタレントとなっていますが、最初から将来が約束されたものではなかったのです。成功するかどうかは分からない、売れるかどうかも分からない状況を経験して、二人ともそれぞれの実力でその不安を乗り越えたのです。

 人に感動を与えるのは、挑戦する姿勢と、途中で襲ってくる不安を乗り越えた人生を経験していることです。最初から成功を約束された人生に対して人は拍手を送りません。
 私達は先の見えない状況に挑戦することなく、未然に出会うであろう不安達を予測してそれ避けてしまうことがあります。不安を避け安全と思われる道に舵を切ることがありますが、その道を安全に歩けたとしても、果たしてそれが自分の人生なのか疑問です。

 自分の人生は自分が選ぶべきものです。他人の判断や指揮下で自分の人生を決める人はいないと思います。しかし現実は他人に左右される場合が多いのです。上司の命令、世間体、友人のアドバイス、両親の薦め。人生には色々な関門が待ち受けています。しかも関門の数々は悪ではなく正義なのです。
 一般的に上司は、部下を路頭に迷わすような支持はしません。世間は道を外れないような防波堤の役割を果たしてくります。友人は自分のことを思ってアドバイスをくれます。両親に至っては子どものことを自分のことよりも大事に思っていますから、危険のない道を示唆してくれます。

 周囲の全ての人は自分のことを思ってアドバイスをしてくれるのです。しかしそれが却って関門となるのです。自分が決めたことをやり遂げようとすると不安がつきものです。その不安を解消するために信頼出来る人に相談をするのですが、その場合、不安を解消してくれるアドバイスをくれます。
 「そんな危険なことに挑戦しなくても良いのではないか」「誰もやっていないよ」「時期が来たら取り組めば良いのではないですか」「私なら安定した道を選びます」などのアドバイスです。

 全てのアドバイスは誤りではありません。むしろ不安をかき消してくれる言葉達です。しかしそれらの言葉は、自分の心次第で行く道を遮るものに変身します。「やっぱり、やめておこうかな」「時期が来たらやれば良いもので、今はその時期ではないようだ」「皆さんが言っていることだから正しいはず」。自分の気持ちにこのような思いが宿ると、一歩を踏み出す勇気は沸いてきません。自分の思いは永遠に封じ込められます。
 それに対して自分を主体して考え、アドバイスを進む方向に向かう方向に解釈すれば、その意味合いは違ったものになります。安定とは止まった状態を指すのではなく、常に動いている状態を指しますから、将来に向けた安定とは静止ではなく動作を志向すべきなのです。

 彼女と彼が将来に対する不安を抱えながらも、自分の未来を信じて、そして自分の可能性に掛けた仕事を見つけたことが現在に繋がっているのです。今だけを捉えて安定していると考えるのではなく、常に前進してきたことが現在の地位を築いたのです。
 その姿勢を持ち続けたことが今日の二人の披露宴に到達したのです。そんな素敵な披露宴に和歌山を代表してお招きを受けたことに感謝するばかりです。今日の二人と同じように、和歌山の未来を信じて動作を基本とした活動を行いたいと考えています。

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