433.歳月
 昔から気心の知れた皆さんとの懇親会に出席した時のことです。懐かしくもあり、楽しい時間と空間を共有しました。時々顔を合わせている人もいれば、数年ぶりの人も参加してくれたので、現在話と昔話が入り混じりました。

 話の中で簡単に「もう20年前」と言う言葉が飛び出したのですが、振り返る時間が大きくなりすぎて驚くばかりでした。20歳の時では20年前は0歳ですし、30歳の時でも20年前はわずか10歳です。その年代のことを昔話で振り返ることはしません。
 お互いが40歳代に突入したことから、20年前の20歳代のことを振り返って話せる訳ですから、当時は想像もしてなかった世界まで、本当に遠くへ来たものです。そして誰一人として同じ道を歩いたのではなく、別々の人生を歩んできたのですから、人生は不思議なものです。私達の暮らしが、同じ地域で同じような環境であったとしても、決して同じストーリーはありません。それぞれの生き方を自分で選択し、そしてこれからも自分で選択した人生を歩いていくのです。

 40歳の時に振り返った20年前、50歳の時に20年前を振り返ると、また違った思い出が蘇ることになります。そう思うと年齢を重ねていくのは楽しいことでもあります。出来ることなら、これから捲っていく頁は、どの頁を開いても同じような出来事で埋め尽くされるのではなく、ときめく様な一頁一頁を綴っていきたいものです。

 ある本の中に映画のことが触れられていました。要約すると次のようなことになります。
 殆どの映画のストーリーは、主人公が困難に遭遇しますが、それに逃げることなく立ち向かって解決する展開となります。困難は途中、何度も主人公を襲い掛かります。私たち観客は、主人公が様々な困難を突破してハッピーエンドを迎えるからこそ映画を観るのです。もしも映画の主人公が困難に見舞われることなく順調な人生を歩んでいるストーリーであれば、私達はそんな映画を観たいと思うでしょうか。全てが順調に経過しハッピーエンドを迎える映画があるとすれば、単調極まりなく、私達を感動させることはありませんし、主人公の生き方に拍手を贈ることはありません。
 主人公が困難に突き当たる都度、その壁を突破する行動を起こすことに私達は拍手を贈るのです。

 人生は全く同じです。私達は自分のところに困難は現れて欲しくないと思っています。出来ることなら順調で楽な人生を過ごしたいと願っています。しかし、そんな人生をストーリーにしたところで拍手は起きませんし、それ以前にストーリーを組み立てることも出来ません。
 観客(主人公が私達だとすれば、影響を受けるのは周囲の皆さんです)に感動を与えるためには、困難と成功が交互に繰り返してくる人生が必要なのです。次々と襲ってくる困難から逃げないで向かい合って突破する姿勢。その度に成長する姿を皆さんに見せたいところです。

 映画も人生も主人公一人では成り立ちません。観客や周囲の皆さんがいるから成り立つのです。そうであるなら、私達は人生に挑戦する姿が必要ですし、困難から逃げることは許されません。予めストーリーは作れませんし用意も出来ませんが、毎日のように沸き起こる出来事に挑戦し、解決するために行動する、その姿勢は持っておきたいものです。
 毎日が同じことの繰り返し。楽かもしれませんが、優れた演出家でもストーリー化は図れません。自分の人生には演出家は存在しません。自分でストーリーを描くのですから、納得する人生にしたいものです。

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