398.国際社会への対応力
 教育に関して論議が交わされる機会が増えています。学力やいじめの問題などが中心ですが、特に公教育の学力低下の問題は、和歌山市でも避けて通れない問題です。現在の大人は英語が出来なくても、それ程ビハインドはありませんが、現在の子どもには語学力は生きるうえで不可欠な道具です。
 現在の大人にとっては、英語力がなくても、日本は経済大国で他国より優位性を保っているので、必要なものは他国から日本に出向いてくれた時代を過ごして来ました。英語でコミュニケーションが図れなくても先方が日本語で対応してくれたのです。しかし経済大国に陰りが見え始め、韓国、台湾は勿論、中国やインドなどの各国も技術力を上げてきていることから経済力も身につけ始めています。もはや日本が奇跡の復興を遂げた特別な国ではなくなっているのです。

 優秀な人材や技術力、情報には国境は関係ありません。人材は仕事に応じて国境を越えますし、情報は一瞬で国境を通過します。その場合の共通語は英語です。くり返しますが、国際社会において日本語を使用して複数の国がビジネスをしたり、協議する機会は多くないのです。経済力で日本が圧倒的優位な立場にあるのなら英語が出来なくても良いとしても、瞬時で必要なものが国境を越える時代において、世界共通語を活用出来ないことはそれだけで競争のスタートから遅れることになります。

 世界ではビジネスも情報も英語を共通語として国境を越えているのです。仮に子ども時代に英語を学ぶことが悪影響を与えるとしても、和歌山市だけが国際社会と切り離せる訳にはいきませんから、時代に対応する教育が必要です。和歌山市が永久に普遍の特別な何かを所有しているのであれば、日本語だけを自在に操れる人材を育成すれば良いのですが、そうではありません。

 和歌山市の子ども達も、中学、高校、市外への大学進学の段階になると否応なしに英語に遭遇します。私学で学んできた子どもや英語特区にいる子どもに遅れをとった位置からスタートすることになりますから大きなビハインドです。その様な教育を子どもが、保護者が望んでいるのでしょうか。子どもと保護者の意見を取り入れた教育施策を講じて欲しいところです。
 莫大な情報と知識は国境を越えています。しかも英語という言葉によってです。日本語を母語としているのは世界でたった1億人です。そして日本の平均的英語力は北朝鮮と並んで最低レベルだと聞いたことがあります。この現実を理解して言語教育を施して欲しいものです。

 さて、市の方針決定の結果として、和歌山市が公教育において英語教育に重点を置くつもりがないようなら、それを無理強いすることは避けたいところです。ただ、学力に関して、何を基準として他都市と比較して学力の向上を図ろうとしているのか、方針は不明ですから将来が不安です。不利益を被るのは現在の子ども達で、影響が現れるのは1年以上先になってからです。その時に、現在の和歌山市の教育責任者達は一人も権限を持った立場にいませんから、誰が責任を取るのでしょうか。現在の子どもが大人になる頃、英語が出来ないとしても、現在の教育責任者が一人も存在しない状況になっています。
 責任の先送りのようなことはしないで欲しいものです。しっかりと英語教育に携わっている方々の意見を聞いて、良いものは取り入れる裁量が欲しいところです。

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