363.言葉の魔力
 肌が汗ばむような梅雨の夜、嬉しいご意見をいただきました。
「忙しい最中、色々みんなのために活動している片桐さんの姿が、遠くにいても活動報告を見れば伝わってきます。次期(統一地方選)まで、もう一年を切りましたね。早いものです。妻が言っていました。あなた、片桐さんを信じてよかったねって!!また一度、ゆっくり話したいですね」

 実は毎日のように色々な出来事があるのですが、心に染み入るような意見をいただきました。本当に活動をしていて良かったと思える瞬間です。先日のにこにこ新聞のように、今日の言葉の暖かさを表現することは難しいのですが大変嬉しいものです。
 人は言葉によって傷つけられますが、言葉によって元気をもらったり立ち直らせてくれたりもします。私達の思いを他人に伝えるためには言葉で伝えるしかないのです。
 時に人は、先の見えない暗闇を歩いたり、起きたくないような朝を迎えたり、人と会うのが嫌になったりすることがありますが、そんな状態から脱出させてくれるのは、心ある人からの言葉なのです。
 
 人は岐路に立たされた時、何を思うのでしょうか。自分の行く先なのでしょうか。後に残すべきものを考えるのでしょうか。それとも後に続く人達への期待なのでしょうか。早いか遅いか分からないけれども、誰にでも人生の決断の時期がやって来ます。
 恐らく大きな決断において感じることは野心や欲望ではなく、無に近い形の澄んだ心ではないでしょうか。邪心があったなら自分の進む方向に向かうことは適いません。純粋な気持ちが原動力になるのです。

 私にとっては、市議会やNPOの活動を通じて蓄積した知識や経験を、自分一人のものにしないで後に続く人達のために社会に広く還元することが大切だと考えています。形のないものを形にして共有することは経験を積んだ人の責任です。経験を引き継ぐことが人類を進歩させると言っても過言ではないと認識しています。

 誰であっても人が一度心で何かを決め行動に移すと、その思いと行動の方向に舵は切られ進み始めますからもう戻ることは出来ません。自分の行動が他からどのように受け止められるのかは分かりませんから、動き出した時は期待と不安が入り混じる瞬間です。
 ただ言えることは、周囲の多くが支持してくれているのであれば、最終的には自分で決めないとどの方向にも進まないのです。そして不思議なもので、決めるまで心は揺れ動いていても一度決めた後はそれまで抱えていた不安は薄くなり、やる気が大きくなり始めます。
 思えば適うことを信じて進むだけです。

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