210.出向
 企業にいると、ある年齢になると出向の話が舞い込みます。かつて出向というと60歳で定年となり、その後を過ごす場所として関係会社があったような気がするのですが、現在の出向事情は違っています。55歳前後で出向の話が来ることは珍しくありません。企業内で経験を積み仕事の総仕上げをすべき年齢で出向する気持ちはどの様なものでしょうか。

 ある方の話が印象的です。いつかは来るものだと思っていても出向の意向打診があった時には真っ暗になったと聞きます。何十年もひとつの企業にいて、企業の発展と利益追求をしてきた経験もその瞬間になると意味を無くしてしまいます。一般的な企業に勤めて来た人の例として、企業の目的を自分の目的として月曜日から土曜日まで、しかも9時から5時までの何でも出来る貴重な時間を費やした時間とは、一体何だったのかと思うのが企業を離れる時です。
 年齢を重ねて責任ある地位に就き決裁権限が付与され、やっと仕事上の思いを達成可能な環境になった時、既に終わりの影が近づいています。執行役員にならない限り、3年から5年で責任者の立場から去ることになります。長い下積みの後に訪れる自己実現のための時間は余りにも短いものです。

 現役生活の総仕上げの時期として訪れる黄金の50歳代なのに、現在の日本企業における現実は寂しいものです。知識、経験、キャリア、スキル、忠誠心、超過勤務、役職位、組織内で通用した全てのものが、出向した時から無関係になってしまいます。その時の思いと無念さは想像しようがありません。
 しかも出向が気楽な時代は遥か彼方に過ぎ去っています。本体の仕事に頼っていた関係会社はコスト削減と自立を求められていますから、出向してもより厳しい成果主義に追いかけられます。ひとつの企業で勤め上げようとしても、最後を入社した場所で迎えられる幸せな人は少なくなっています。

 本体は50歳未満、関係会社は50歳以上の構成になりつつありますから、それを前提に生き方を考え直す時代になっています。つまり企業人として常識であった60歳定年で出向、65歳まで関係会社で過ごして65歳で退職し年金生活するパターンは完全に崩れ去っています。
 今までが良かったと思うよりも、企業内においては早い目に自己実現を目指す仕事を心掛けたいものです。上司の言う通りだけの仕事や、批判を避けるために目立たない企画をする循環に陥らないようにしたいものです。仕事は月単位、四半期単位、あるいは期単位で繰り返しますから、季節感を感じることは少ないため知らない間に年月は過ぎ去ります。漫然と同じようなことを繰り返すサイクルから脱出することで、企業内外において自分の位置を見つけることが出来ます。
 後悔しない仕事、生き方をするのは簡単ではありませんから、目的を少し手前に引き寄せて早い目に取り組むことです。仮に上手くいかなくても、やり直す時間は十分に残されます。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ