209.生命の価値
 ある方のホームページを毎日読んでいるのですが、入院中にあるその方の父親の動向を毎日ハラハラしながら拝見しています。誰にとっても父親は人生の師匠であり、特に友人の父親ですから何とか生き延びて欲しい、助かって欲しいと願わずにはいられません。もう一度、父親と酒を酌み交わし語り合いたいと願う子の願いが天に届きますように、心から願っています。

 私達にとって中々思うように進まない人生ですが、生命があることほど尊いことはありません。いつものように家を出て仕事場に向かう、いつものように何気ない会話をすることがどれだけ貴重な瞬間なのか、毎日繰り返していると気づかないものです。しかし平凡な日々の繰り返しが貴重なものであることに気づく時があります。病気をした時、身内や知り合いが苦しんでいる時など、当たり前の日々こそが輝く日々であることが分かります。

 人は生を輝かせるために自己実現を目指しますが、完成に向かうほどに残り時間が少なくなります。無から有を生み出すために全力で行動し、そして再び無に帰すのは自然の中でだけ生きられる人間の定めです。一人の人間が社会で実現したことでも、死した後も現世に何かを残せるものは少ないのです。多くは跡形もなく消え去ってしまいます。
 だから何もしなくても良いとは考えません。自分はたった一度だけこの時代、この国、この社会にだけ存在しています。それ以外に生きる選択肢は与えられていないのです。どの時代でもなく平成の時代に生きている。アメリカでも中国でもなくて日本に生きている。
日本の中でも和歌山市で生活し活動しているのは唯一の存在です。限られた環境の中で生かされているのですから、その中で出来る役割は当然にある筈です。

 しかも「今」は未だ歴史になっていないのです。歴史は誰が作るのでもなく、その時代に存在する私達が日々作っているものです。しかし2005年に私達が確かに存在したということも、歴史から見るとやがて埋もれてしまうものです。10年後、生きていれば自分が証明出来ます。50年後、ひょっとしたらまだ覚えている人がいる可能性はあります。100年後、余程の功績を残さない限り存在したことを覚えている人はいないでしょうし、存在したことを証明するものは残っていないかも知れません。

 跡形もなく消え去るのが生命ですが、それでも生命は尊いものです。生命は連鎖しないと存在出来ませんから、今の自分がいないとなると次の生命は絶対に存在しません。そして後の世代にまで生命を残せるのは、死の瞬間まで生きることを貫いた強い生命力を持つ人だけです。そう思うだけでも、最後まで強く生きることに価値があることが分かります。

 生命を与えられている私達は、誰でもそんな強い生命力を引き継いでいます。それを自分の意思で更に強くして申し継ぐことが永遠の第一歩です。自分だけのものなら何をしても個人の自由ですが、生命は自分だけのものではないのです。祖先から預かったもので、やがて次に伝えるために返すものですから、少しでも生命の価値を高めてお返ししたいものです。
 生きる意味を分かるまでには至りませんが、無に帰るからそのままで良いのではなく、無になる前に自分だけの価値を見出したいものです。

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