170.挨拶の仕方
 私が先般出席した会合において、来賓の挨拶は長くて中身がないことの別の事例を紹介してくれた上で、私の挨拶については、短い時間の中に具体的事例が織り込まれていたので、何に取り組んでいるのか良く理解できたと言葉をいただきました。その会合の後、出席した方々は場所を変えて話し合ったそうですが、一番良かったと話題になっていたと教えてくれました。
 悪い事例は、時間が長いだけで何を言いたいのか全く分からないこと、抽象的でぼんやりとした内容となり発表者が何をしているのかが見えないこと、単なる社交辞令だけに終始し話の内容がないこと、話題があちらこちらに飛んでしまって、結局話の重点が分からないこと、などだと示していただきました。

 挨拶は長すぎても誰も聞かないものですし、短すぎても思いが伝わりません。程々が良いのですが、言いたいことがあり過ぎると長くなりがちです。
 また社会一般的な問題だけをテーマとして取り上げると、個性がない内容となってしまいます。当事者なら事の真相や裏話を交えることで内容は深まるのですが、新聞ネタだけなら誰が話しても内容の深さは変わりません。時事問題は、かなり確信を持った独創的な見解を含めた内容にしないとつまらなくなります。従って時事問題はその分野の専門家でない限り、話題になっているだけで取り上げ一般的な解説をするのは避けた方が無難です。

 これらを踏まえると、少ない時間で重点を絞ること、そして自分の活動内容について紹介することが良い挨拶となりそうです。そのためには、実際に自分が何かの活動していること、活動の趣旨を理解してポイントを頭の中で整理出来ていること、適切な言葉を選んで話をすることが大切です。
 もうひとつ悪い事例を教えてくれました。どの会合でも同じ内容の話をしている人がいるようです。全く場を考えていないし、同じ話しか出来ないのは何も活動をしていないことの証明になります。

 私の場合、挨拶内容は事前に全く考えていません。壇上に上がる直前に内容を思い浮かべます。挨拶の内容は、出席者の雰囲気や先に挨拶した人に対する反応、先の人の挨拶に要する時間の長短、重要な問題であっても、先に挨拶の中で触れられたら重複させないために話しの中に含めません。このようなポイントで挨拶内容を調整しています。
 ですから順番が来る直前になって何の話しをするのか決めています。直前まで白紙ですから、前日の夜に悩み考えることはありませんし、読み原稿を作成する手間もありませんからストレスは溜まりません。
  
 挨拶は上手い下手ではなく、自分が取り組んでいることをストレートに話すだけで良いのです。自分が取り組んでいることを自分の言葉で話すほど現実的なことはありません。
 行政が取り組んでいることを言うだけなら誰にでも言えるので、多くの方からは自分で活動したことを話して欲しいと要望を受けています。少し前とは違って今では、行政が取り組んでいることはホームページによって皆が分かっています。情報公開が進んだ今では既にホームページなどで周知されていることを話しても余り皆さんの役に立ちません。
 少しずつですが意識の変革は進んでいます。この変化が世の中を進歩させています。

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