171.食べること
 生き物は食べないと生きられません。食事をいただく時に「いただきます」と言うのはある意味が込められていると、ある先輩から聞きました。それは人間が生きるために動物が犠牲になっていることから、その生命を人間のために捧げてくれたことに感謝するものです。「いただきます」とは生命をいただくことを意味しています。
 これを裏づけるような記事を読みました。ジャーナリストの木本教子さんの時評の中にあったものです。

「ごはんを食べる時、手を合わせて「いただきます」といわねばなりません。母は私にそう教えました。それはどうしてでしょう。母は「生きものは食べなければ死ぬ。これは法則だ。法則に例外はない」といって教えてくれました。
 人間はごはんとかパンとか、魚、牛肉、野菜とか、そういうものを食べます。よーく考えてみて下さい。ごはんはお米の命です。パンは麦のいのちです。牛肉は牛のいのち、お魚も野菜もみんな生きていたのです。
 そういう生きものの命を食べて人間は生きているのです。だから生きているっていうことは、殺しているっていうことです。だから手を合わせるのです。必要以上、食べてはいけないのです。必要以上たべれば必要以上殺すことになります。
「人間はお米や麦や牛や魚、野菜の命で生かしてもらっている」こんなふうに教えてくれました。私は「ほんとだ」と思いました。気持ち悪いって言う人もいたけど、私にはよーく分かりました。
 ごはんを食べる時、手を合わせて「いただきます」っていうのは、あなたの命をいただいて、生かしてもらっていますということなんです」(2005.4.4・電気新聞時評)

 如何でしょうか。食べる事とは他の生命を奪っていることなのです。大切な命をいただいているのですから、食することに感謝すべきなのです。食事を食べ残しする量では、日本が世界でも有数の国になっています。大量の残飯や賞味期限切れの食料廃棄などは、もったいないですし、折角いただいた大切な生命を意味のないものにしています。人間が生きるための手段として生命を奪ったのに、それに役立てないのでは何のために死を迫ったのか理由がありません。
 人間は栄養素を外部から取り入れることで細胞を維持しています。生きるための食事ですから、食に感謝する気持ちを一時でも忘れてはいけません。犠牲になった無数の命の上に立って私達は生かされていることを忘れてはなりません。
「いただきます」や「もったいない」と言う言葉を聞くことが少なくなりました。スーパーマーケットなどでは、料理し易いように加工された食材が販売されています。
 そのため加工物の原型は分かりません。どのような姿の魚だったのか、肉になっている動物の元の姿を知らない子どももいます。子どもはスーパーなどに並べられた陳列を見ています。肉はきれいなパックに入っているもの、魚には骨がないもの、野菜は土で育っていないもの(水耕栽培もありますが)と思ってしまいます。
 そこには生命を感じさせてくれるものはありません。死は私達の周囲から遠ざけられています。日常生活の場においては、汚いものや死を感じさせるものは除外されています。
 デジタル映像、ゲーム機の中の生命は復活しますから、死ですら終わりを感じさせないものになっています。
 生命を維持するには他の生命を犠牲にしています。だから生命は大切にすべきことを知る必要がありますし、死はこの世での存在がなくなること(様々な思想はありますが生命体としての肉体は消滅します)から生命は有限であり、地球上で生かされていることに感謝する必要があります。
感謝を込めて「いただきます」から食事を始めたいものです。

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