149.歩き続ける
 子どもの教育と取り巻く社会環境の健全化については、現在において地域社会最大のテーマです。大人達は、発言機会のない子ども達の声を聞く姿勢が求められます。社会のルールは現在大人である私達が決めていくのですが、次代を担う子どもが健全に成長するような教育環境と配慮が必要です。つまり、地域として子どもの成長を見守ることが出来る環境を築くこと、地域の方々と交流を深められる施設作りを行うことなどがその施策として挙げられます。
 そこに住む方々と地方自治体は十分な意見交換を行い、教育施設、公的施設をどう配置するのか地域計画を策定すべきなのです。今までは、地方自治体とそこに任命された有識者で構成する○○検討委員会なるものが設置され、テーマとする課題の検討を行います。

 国レベルで委員に就任した経験のある方に伺うと、原則非公開で、事務局提案に沿った形で議論が進められるそうです。委員長は殆どの場合、事務局から指名されますが、これはその方の意向が明確であるからです。
 検討委員会で出されて結論は行政当局に送られ、施策として反映されていきます。本来、この委員会では現場の意見を確認する、意見聴取に出向くことが大切なのですが、時間の制約があり実際は難しいのが現状です。この結果、まちに住む主役が不在のまま議論が交わされ、私達に直接的、間接的に関係する施策が決定されます。
 過去においては、情報が一元的に集まり専門知識のある人達で議論を重ねた方が、誤りの少ない結論を短期間で導くことが可能でした。つまり情報が最も集まるのが行政組織であり、専門知識を有するのは市民では無く専門家と呼ばれる人達だったのです。現在でもこの構図は否定できませんが、少しずつ情勢の変化があります。様々で大量の情報は市民でも容易に入手出来ますし、個人に専門知識が無くても行政以上に専門知識を
有したNPO法人も出現していますから、連携することでこれを補うことが出来ます。
 つまり過去のどの時代においてよりも、市民の意見を地方自治体の施策の中に取り入れることが容易な時代になっているのです。委員会を設置して検討しなくても、課題が発生した地域に出向くことで論点が整理され、お互いに意見交換することで歩み寄りが図れ、納得性のある結論を導けます。勿論、変化が起きると痛みは伴いますが、自分達の意見が無視される決定を下されるのと比較にならない程、私達の意思は反映されていきます。
 子どもを大切に思わない親はいませんし、教育関係者なら誰でも子どもの将来のことを真剣に考えています。予算配分と考え方は、立場によって多少異なるかも知れませんが、健全で賢い子どもに育てたい願いは寸分も違いません。
 思いは同じなのに入り口が違うことで、同じレール上で議論出来なくなる場合があります。その結果、聞く姿勢を見せない、肝心なところで逃げるなどの態度を取る破目となり、解決どころか出口すら分からなくなります。司法なら裁判所に判断を委ねる所なのですが、行政と地域間における見解の相違については判断を下す機関はありません。 
 むしろ無い方が正しいのであって、歩み寄りを見せて、お互いに納得しないまでも信頼感を醸成するまでに話し合うことが大切なのです。逃げていても問題は解決しませんし、特に決定権を有する人は強引に押し切るのではなく、当事者の小さな思いに応える度量が必要です。

 信頼することが出来る人が関わることで問題は見えてきます。財政難に端を発した行政改革は、過去の実績に基づく机上の計算で改革が進められます。そこには血の通う余地は少ないかもしれませんが、血を通わせるための過程を経なければ民主主義における統治者とは認められません。

 一人ひとりの思いを乗せて、どこまでも時代は進んでいきます。喜びや悲しみ、悔しさを感じるのが生きている証拠です。何も感じない、何の意思表示も行わないのは、生きているとは言えないのです。人間は天から命を与えられて生かされていますが、社会や地域、組織の中で存在していることを証明するためにも、社会の壁にぶち当たり乗り越えていくことで、自分が生きていることを実感するのです。当たり障りのない人生を望むのが人間ですが、たまには生きていることを実感する位、本気の活動をしてみたいものです。

 和歌山市で確かに生きている方達が存在しています。その足跡は決して小さなものではありませんし、一度芽生えた意識はこれからも形を変えて存在し続けます。
 意思を持った人達は歩き始めます。歩き始めた人同士は、平坦ではないかも知れない人生の道で何度も交差します。その度に協力して大切な事業を成し遂げられます。でも、その場に留まり歩き出さない、或いは道の途中で立ち止まると、前向きに歩んでいる人と会うことはなくなります。誰と出会うか、その差は人生において大きいものです。  
 人生の出会いは必然で、出会うべき時期に出会うべき人と会いますが、そのためには前向きに人生を歩き続けることが前提です。立ち止まって手を差し伸べてくれるのを待っているだけでは出会いはありません。

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