18.和歌浦に眠る歴史
 和歌浦にある妹背山海禅院の多宝塔下の石室内には、紀州藩徳川頼宣公と生母養珠院(お万の方、徳川家康の側室)により書写された経石や、後水尾天皇、皇后の自筆の書写、諸大名など多くの人から贈られた題目経石が約20万個埋納されています。その経石の発掘調査が行われています。
 作業の目的は、紀州徳川家と将軍家、皇室とのつながりが明らかになることが期待でき、海禅院の復元整備にあたって、その歴史的意義付けを行うことです。経石のもつ意味が解明されたら、これまでの紀州、和歌浦の歴史だけではなく、日本の歴史の中でもその意義が注目されるはずです。

 歴史的背景は、1649年に養珠夫人が亡夫徳川家康の33回忌追善供養のため小石に書写した法華経題目を埋納することから始まります。供養の気持ちが当時の多くの方に伝わり、結果として約20万個の経石が一緒に埋め納められたのです。養珠夫人の気持ちとしては、先人全ての人たちの罪を許して欲しいとの思いがありました。一人ひとりが先人たちのためにその願を込めて書写したのです。罪を許す気持ちとは、翻って人に対して思いやりの気持ちを持つことです。
 戦国時代から間もないその時代に、人を思いやる気持ちを呼びかけるのは大変なことですが、その気持ちがあったからこそ20万個もの経石が集まったと言えます。
 「南無妙法連華経」を石に書くことで、思いやりの気持ちは高まったと想像出来ます。適当な気持ちで題目は書けないのです。確かに、発掘した経石の米粒のような小さい字を見ると、書人の気持ちが伝わって来ます。気持ちのこめられたものだから、約350年の時を超えて私たちの前に現れたのかも知れません。1652年に養珠夫人が死去し、1655年に頼宣公が多宝塔を建立しました。
 発掘調査は、困難の中に楽しみがあります。刷毛で石をきれいにするために掃きますが、掃き過ぎると銘文が削れる恐れがあり、軽くそしてきれいに掃く必要があります。細かい注意が必要で根気がいる作業です。同じ姿勢で作業を続けるので体力もいります。歴史を解明するのは、研究体制に入る前に大変根気のいる作業が伴うものです。
 私たちが今知ることの出来る歴史は、数え切れない多くの人が調査、研究した成果です。自分が歴史発掘に少しでも関わったことで、先人が残してくれた人類の歴史から学ぶ

(経石の発掘が行われている
妹背山)
ことの大切さが分かりました。体感して分かったことは、歴史は流れるのではなくて、積み重なるものだということです。
 歴史的背景を調査するためには、全部の経石を取り上げる必要があります。今回の発掘は160人のボランティアに支えられ、1万5,000個の経石を発掘しました。全容を解明するためには20万個の調査が必要ですから、後20年という長い時間を要します。
 銘文も不鮮明になりつつあり、時間と経石の量との戦いとなります。

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