ジャパンエキスポ南紀熊野体験博の思い出と歴史的意義
「浜木綿 第73号掲載 令和7年4月1日発行」
南紀熊野体験博は、南紀・熊野地域で1999年4月29日から9月19日までの144日間開催された日本で初めてのオープンエリア型地方博覧会である。和歌山県では世界リゾート博に続くジャパンエキスポであり、1990年代に二度のジャパンエキスポを実施した和歌山県は、リゾート地のアピールや熊野古道を世界遺産登録しようと取り組む元気があったと時代であった。
ある日突然「和歌山県では2年後に南紀熊野体験博を開催する予定だ。和歌山県に出向して博覧会の仕事をして欲しい」と出向が決まった。同博覧会の実行委員会は県職員で構成されていたが、民間企業から5人が出向して1999年まで一緒に仕事をすることになった。
この時の実行委員会の先輩や同僚はその後の人生の宝物になるのだから、めぐり逢いは不思議で大事なものだと思う。
ところで出向した当初、「熊野古道って何、どこにあるの」というレベルで、後に世界遺産に登録されるとは思ってもいなかった。この博覧会のエースは熊野古道であり、広報の仕事の一つは熊野古道の魅力を伝えることだったので、とにかく現地を訪ねることにした。平安時代に天皇や上皇が行幸で熊野を歩いたと想像しても、何を目的として何を思って歩いたのか理解できなかったが、体験型観光としての熊野古道は「人を呼べる」と感じたのも事実である。王子跡から次の王子跡まで歩いている時、それは確か小さな川が流れていた場所だったと覚えているのだが。「いま僕は熊野古道を歩いている。仕事として熊野を知り訪れた人を案内できる機会に恵まれたことは有難いことだ。何て良い仕事をさせてもらっているのだろう」と感じたのである。
ただ目的地を目指して歩くこと。熊野古道を歩くことで感じることに意味があると思った瞬間だった。古道と言うものの実際に歩いてみると山道であり、最初はスニーカーだったものが直ぐにトレッキングシューズになり、リュックを背負いウォーキング用の杖をもってウォーキングすることになった。開会前はマスコミや旅行会社の担当を案内して歩いたことで熊野の知識が増えていった。特に外国のマスコミを案内した時の彼らの喜びは特別で、小さな滝を見つけてはwonderful、細い小道を歩いては質問攻めにしてきたのである。
歴史を知らなければ山道とも思える熊野古道を歩くことで喜び、楽しみ、写真を撮る、それが紹介記事になる。無名の古道が、世界が認める世界遺産に向かって走り出す瞬間だったと思う。
令和6年。博覧会開会中は毎日のようにプレスルームに記事提供をしていたが、その時の紀伊民報で博覧会を担当してくれた記者と久しぶりに話を交わした。
「今でこそ熊野古道には観光客が訪れてくれていますし、外国からも観光客が来てくれています。それは世界遺産になったことで実現できていると思います。そして世界遺産になったのは間違いなく南紀熊野体験博を開催したからだと確信しています。あの博覧会がなければ世界遺産になっていなかった。今、あの時の熱い思いは和歌山県が引き継いでいるのだろうかと思うことがあります。誰かが博覧会を成功させて熊野古道を世界遺産にしようという当時の思いを引き継いで欲しいと願っています」。
毎日のように博覧会の記事を書き、論評してくれた記者が1999年の博覧会から25年後に語ってくれたのです。
時を超えて「あの時、南紀熊野体験博で仕事ができて良かったなぁ。平安時代の行幸の道であり江戸時代には蟻の熊野詣と言われていたが、わが国の近代化と共に忘れられていた古道を歴史の舞台に蘇らせたのだから。しかもわが国が有している、自然の中に神が宿る自然信仰を体現している道として世界遺産になって世界が認めた信仰の道として観光客が訪れるようになった。そんな仕事を実行委員会の一員として携われたことは誇りだ」と感じられた言葉でした。
令和6年9月、和歌山市内で関西歴史文化首都フォーラムin和歌山「道は日本のこころ」が開催された。「日本のこころ」である道とは熊野古道であり、大和王権が熊野を神仏習合の聖地としたのです。
これは全ての人を受け入れる、違う価値でさえ受け入れる心をこの地で認めたのです。それが日本人の心として現代に受け継がれているもので、寛容性や多様性がいわれている現代ですが、熊野では、いや日本人はその当時から、世界が現在発信している価値を有しているのです。
熊野の持つ価値は世界が持つべき価値の源流だったのです。
1999年に開催された南紀熊野体験博は一過性のものではなく、現代に至る価値を発信した博覧会だったのです。
熊野の主な歴史は次のとおりである。
大和王権が祭祀国家を確立し、そこから神の聖域熊野で神仏集合を体現し、聖域を朝廷の支配下に置くために山岳修行者を熊野に進入させたことが始まりで、平安時代の行幸、江戸時代に起きた熊野詣、そして世界遺産登録の歴史がある。
この歴史の中に、確実に、南紀熊野体験博の功績と携わった私たちの思いは刻まれている。
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