コラム
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2024/3/28
1907    般若心経

令和6年3月14日、紀三井寺の前田泰道貫主から「般若心経」についての卓話を聴かせてもらいました。約80分、お釈迦様の生き方と共に分かりやすく解説をしてくれました。

お釈迦様は紀元前5世紀に誕生した方で、35歳の時に悟りを開き、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、多くの人々に法を説いてこられた方です。お釈迦様は対機説法であらゆる人々に法を説いたと言われています。

天台宗ホームペ―ジによるとこの対機説法の意味は次の通りです。

「お釈迦さまが説法されるときは機をみて法を説いたといいます。機とは法を説く相手のことです。その人の人格、年齢、教養、性質、まわりの環境、それらをよく知った上で、その人が理解できるように法を説いたのです。だから、心の底に教えがおさまったのでしょう。
一方的な言い方ではなく、まず相手を理解する」ことだそうです。

つまり相手に応じて話す内容を変えることです。年齢や性別、子どもに対して同じ話をしても伝わりません。相手に応じて自分が話し方やテーマを変えて伝えることで、どんな人にでも理解してもらえるということです。この対機説法の問題点は、後世にお釈迦様が話したことが正しく伝わらないことにあります。

この時代、お釈迦様は教えを文字で残さなかったことから、弟子から弟子への口述で後世に伝えられています。そのためお釈迦様が亡くなった後は混乱することになりました。

対機説法のためお釈迦様は人に応じて違うことを話していますし、話したことを記録していないことから、伝わり方や受け止め方が違ったからです。そこで弟子たちが集まり法話集を作成することになりました。これを元にしてお経が完成することになるのです。

仏経典を凝縮したものが「般若心経」ですが、完成したのは西暦に入ってからなので、お釈迦様歿後500年後のことになります。お釈迦様が話したことを凝縮しているため、優しく報を説いたことを難しく表現したものになっています。しかも漢文のため日本語の助詞がないので解釈が難しいのです。

さて仏教が日本に伝来したのは西暦500年頃とされているので、お釈迦様歿後から1000年後のことになります。1000年もタイムラグがあるため、お釈迦様が伝えたことと違った仏教になっている可能性が多々あります。

どんな教えでも同じことが言えますが、研究が進むに連れて形が変わっていきますし、時代の価値観によって解釈も変化していきます。つまりその時の先端の話に変わり、その時の流行の解釈で伝わるのです。

繰り返しますが、日本に仏教が伝わったのは1000年後ですから、その時代の先端であり流行の教えの仏教として伝わっているのです。

そして日本で仏教を伝えたのはお坊さんではなく聖徳太子であり、現代に至る仏教が広まったのは鎌倉時代でした。鎌倉時代には天才的な僧侶が登場します。法然と親鸞、日蓮に道元など、天才たちによって今の仏教の形が築かれていったのです。

仏教誕生から伝来までの簡易な経緯ですが、お釈迦様に興味を持つには十分な卓話です。