コラム
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2024/4/1
1908    般若心経その2

紀三井寺の前田泰道貫主から「般若心経」についての卓話の続きです。

仏教にはキリスト教やイスラム教徒など異なる特異性があるのです。

仏教にはいくつかの宗派がありますが、「氣づきによって導かれていく。護られていく」ことが原則です。キリストやアラーなど、絶対的な神を信仰するから護られるのではなく、経典を学んでいく過程において自身が氣づくことで導かれていくという、極めて人間的なものです。俗に言われる「信じる者は救われる」のではないのです。「氣づく者が救われる」ような感じです。

仏教には大事な教えがありますが「四苦八苦」の言葉も教えの一つです。人が「四苦八苦」と苦しむのは自分に原因があるからです。自分に原因があるにも関わらず、他人の責任に転嫁する人が如何に多いことか。苦しみを他人の責任だと自分が決めつけても、解決にはなりません。自分の心の中に原因があると思って、その原因を取り除いていくことが「四苦八苦」から脱却するために大事なことです。

ところで仏教の基本となる4つの教えがあることを伝えてくれました。

一切皆苦。この世界は自分の思い通りにならないことばかりである。

諸行無常。世の中の全てのものは一定ではなく、絶えず変化を続けているものである。

諸法無我。この世の全ての物事は、影響を及ぼし合う繋がりの中で成り立っている。

涅槃寂静。仏になるために仏教が目指す到達点。「悟り」の境地。

この中で大事なことは「諸法無我」です。この世の全てのものは存在していないことの教えです。全てのものはあるように見えて存在していない。つまり「空」だということです。「般若心経」には「空」や「無」の単語が頻繁に登場しています。全ての存在はないものだと思うことで、執着がなくなるということです。

ここに存在しているものだから欲しいと思いますし、所有しているから手放したくないと思うのです。しかし「空」とは存在していないものだから、なくなったとしても執着しないことで心がモノから解放されるのです。

そして結論です。私達が所有しているものは全て借りものだということです。家や自動車、お金や財産、そして体も命も借り物だということです。宇宙から命も体も借りているので、いつか返す時が訪れます。

そしてこんなことが言われています。「生まれた時の魂は清らかで美しいものですが、生きていると俗社会にまみれていき清らかだった魂は汚れていきます」。

人は生きていると、大人になると魂は汚れていく。果たしてそうでしょうか。

素晴らしい出会いや人に優しくすることに人として生きている価値があります。素晴らしい経験をすることで、生まれた時の魂よりも清らかに美しく磨くことができるのです。魂、私達の命は汚れていくばかりのものではなく、生き方次第で、生まれた時よりもきれいにして返せるものなのです。体と命は借りたものですから、生きている限り魂、つまり命をきれいにするための行動をして、生まれた時よりもきれいな魂、命にして返したいと思います。

「般若心経」は人生の旅路でやるべきことを示しているのです。人は生まれた時に与えられた命は、生きていく途中での出会いや優しさによって最初の命よりもきれいな状態にして返すことが大事だということです。前田貫主の卓話から、このような氣づきがありました。