793. O(ゼロ)からの風

犯罪被害者の会の鈴木共子さんの実話を基にした映画、「O(ゼロ)からの風」を観ました。
 19歳の息子の零くんを交通事故で失った主人公の母親は、交通事故の加害者の罰則は軽すぎると感じ、刑法改正を社会に呼びかけます。未来と夢が突然消し去られる。そんなことが現実に起こり得るのです。交通事故。それも飲酒運転や暴走運転に巻き込まれて、何の落ち度もなく罪のない人が犠牲になることがあります。
 映画の時代背景の頃は、交通事故によって相手を死亡させたとしても過失であり、最大で5年程度の実刑が科される軽いものでした。19歳の子どもを奪われたのに、加害者はわずか3年程度で刑務所を出てくることに怒りを感じ、主人公は犯罪被害者の輪を拡げていきます。最後は国会を動かし、刑法改正にまで漕ぎつけるのです。
 それにしても突然生命を奪われた本人の無念さは当然のこと、残された親族の生涯消えることのない悲しみの重さと深さは想像できないものがあります。まして自分の子どもを失うことの悲しみは、例えようがないものです。

 そして加害者の再犯率は非常に高いそうです。同じことを繰り返すたびに被害者が増え、悲しみも広がります。せめて悪質な運転による交通事故加害者は厳罰に処することで、余りにも無意味な死を防ごうとしたものです。途中、何度も涙が零れそうになりました。
 家族の温かさと一人になった主人公という現実。その対比が余りにも惨いのです。耐えられない程の痛みを感じました。主人公の「被害者になってみないと分からない」という言葉の通りです。零くんの将来の夢は「お父さんやお母さんのように、人に幸せを与えられる人間になりたい」ことですが、それは決して叶えられないことになります。零くんの彼女は「優しくて、正義感があって、夢のある人でした」と語りましたが、これ以上の理想の言葉はありません。そんな零くんがこの世からいなくなる。誰の下にも訪れる可能性のある怖いことです。
 願わくば、生命はかけがえのないもので、脆く、その重さを全ての人に感じてもらいたいものです。「命のメッセージ、トーク&シネマ」で得た、生命が何者にも変えられない尊いものであることを実践したいと考えています。

 今日という日は、無念にも昨日、死を迎えた人が生きたかった日なのです。今日の一日を無駄に過ごすことはできません。人生とは、全力で生きることを義務付けられた一日の連続なのです。一日を無駄にすることは人生を無駄にすることですから、絶対にしてはならないことです。
 映画の中にありました。19歳の頃の夢は大人になると消え去るかも知れません。未完成の19歳は大人になるに連れて完成に向かいます。しかし人生を完成させることなく終えてしまう人もいるのです。そんなことはあってはならないのです。
 被害者の涙には敵いませんが、その内の少しですが生命の重さを受け取ることができました。
夢や希望を失って生きる希望が見つからない大人になった日々を過ごしているとしても、それでも生きることは素晴らしいのです。大人の自分を生きられなかった人がいるのです。ですから大人の自分を生きられている今に感謝して、今日を明日につなげたいものです。


コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ