778. 戦争体験

第二次世界大戦の時、和歌山市内に空襲がありました。今ではその体験をしている人は少なくなっているため体験談を聞く機会は多くありませんが、幸運なことに貴重な体験の一部を聞くことが出来ました。
 和歌山市の空襲の時は、市内からお隣の貴志川町に疎開して難を逃れたそうです。空襲のあった時、貴志川町から和歌山市の方向を見ると真っ赤な炎が見えたそうです。その恐ろしさは想像を絶するものがあります。空襲を受けた人達は何もかも失ってしまったと聞きますから、それと比較したら現在の経済危機は乗り越えられるといいます。
 今日お話しを伺ったのは征子さんです。生まれて三日後に父親の元に召集令状が届き戦地に赴くのですが、そのことから自分が出征した時の子どもですから征子さんと名付けられたそうです。
 残された母親は戦争の中、懸命に子どもを育ててくれたのです。その間に戦地から送られた葉書は今もたくさん残っているのですが、葉書の宛名は母親と征子さんになっているように、戦地にいる父親の家族への愛情が感じられます。
 その母親も現在は92歳。育ててくれた母親をずっと変わらずに愛し続けています。親孝行は親が生きている間にすべきもので、身体に触ると温かいことを感じられることに感謝するばかりだそうです。92歳の命があることの喜びを感じる毎日を過ごしているそうです。何という素敵な話なのでしょうか。涙が瞼に溜まりました。温かいことは何物にも代え難いものだと痛感しました。
 そして自分が親になった今、考えることは、親の役割とは子どものために健康でいることだと話してくれました。親が健康でいることが子ども孝行であり、子どもが心配しないで仕事ができる環境であることだからです。親に感謝し、子どもを想うのが親なのです。
 親とは、木に昇って立って子どもを見ることだと聞きました。いつまでも子どものことを見てくれている親の有難さを感じざるを得ませんでした。
 第二次世界大戦の時代に子どもだった年代の方達の中には、そんな親の温かさを感じないで大きくなっている人がいます。小学生の時は家事に追われ、中学生になると家計を助けるために仕事に就くなど、10歳代の時は苦労の連続だったそうです。せめて自分の子どもには苦労を体験させたくないと思い、必死で働き、今ある豊かな日本を築いてくれたのです。決して忘れてはならない生きた歴史です。
 小さい頃に両親を亡くし、兄弟と共に昭和の歴史を生き抜いた人の強さを感じ取ることができました。そして絶望の時代を生き抜けたのは、強さと明るさ、そして思いやりの心があったからだと感じました。苦労して人生を切り抜けた人の強さと思いやりの心は、身体から滲み出ていました。素敵な年の重ね方をしてきていると思いました。絶望から希望を見出し、苦労の中から幸福を見つけています。そして期待できる次の世代の人に自分達の日本を託そうとしてくれています。こんな素敵な方達に囲まれていることを幸せに思いますし、こんな素敵な時間をいただけたことに感謝するばかりです。
 歴史がつなげてくれた奇跡のような出会いと時間に心から感謝しています。歴史を生き抜いた人から学び、その体験を自分のことのように感じられる感謝の気持ちを共に受け取り、次に伝えられる言葉を持つこと。それが戦争体験のない私達がすべきことなのです。
 歴史を生き抜いた人達の思いを伝えられなければ、悲惨な歴史は繰り返されることになります。それを避けるためには私達は賢明でいなければならないのです。


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