729 .ワークショップ
 和歌山フラメンコ協会のフラメンコワークショップが開催されました。場所は和歌山フラメンコ協会の森久美子先生のスタジオ「フラメンコアカデミア・ラ・ダンサアンダルシア」です。今日は日本のフラメンコの巨匠小松原庸子先生から「フラメンコ発祥と苦悩の歴史」について学びました。

 重いテーマだったのですが、実施内容は明るくて楽しいものでした。フラメンコの雰囲気を感じるために最初はダンスから入り、カンテ、ギターなどを交えながらワークショップは進みます。途中、名舞踊手のエル・フンコさんから、手拍子とフラメンコの簡単なステップを教えてもらえるまたとない機会に恵まれました。エル・フンコさんは、アンダルシア州立舞踊団で活躍し、現在はアンダルシア州政府の代表としても活動している方だからです。明日は舞台に立つことになっていますが、スタジオでのレッスンはユーモアたっぷりの会話と踊りでした。即興での簡単なレッスンだったため、参加者全員が立てステップを踏みました。ところが独特のリズム感が必要でステップは難しいものでした。私にとってフラメンコ初挑戦でしたが、これが実に気持ち良かったのです。リズムに合わせて身体を動かすことの楽しさを感じることになりました。と同時にプロの凄さを実感するものでした。簡単なステップだったのですが、格好やリズム感は明るくて流れるようなものでした。余分な力が入っていないことから、流れるような動きになっているのです。

 どんな種目でもプロ級になると身体に余分な力は入っていません。特に上手くやろうとすると肩に力が入りますが、そうなると動きは忽ち窮屈になります。エル・フンコさんの踊りは川の流れのようなものでした。

 小松原先生からは、「こんな時代だからこそ、美しいものを感じられるような舞台を皆さんに観てもらいたい」と話がありました。美しいものに接する機会が少なくなっています。人の心や立ち振る舞いなど、かつての日本にあつた精神的な美は、日常生活の中から姿を消しつつあります。芸術家の舞台は、そんな美しさを私達に提供してくれる機会なのです。この機会は自分から求めないと与えられるものではありません。

 幸い、和歌山フラメンコ協会とご縁をいただいてから、トップレベルのフラメンコに触れる機会をいただいています。本物に接する機会があることの幸せを感じているところです。森先生にも話したのですが、もし森先生と出会わなければ、生涯フラメンコと接する機会はなかったと思います。そうすると人生の大切な部分が欠けたような状態になっていたような気がします。本物に触れる、美しいものに接する。これが日常生活に欠けているビタミンのようなものなのです。ビタミン不足の毎日ですから、日常生活から得ることができないビタミンを自分から摂取することが必要で、そのビタミンがフラメンコを初めとする芸術なのです。しかもそれは、本物から摂取することに意味があるのです。

 今日のワークショップの二時間は、ビタミンを投入されたような心地良いものでした。
 スタジオ内で魅せてくれた本物のフラメンコは、本物だけが持っている奥深さと陽気さ、清流のような清々しさを感じさせてくれました。

 ただしフラメンコ誕生の歴史は美しいものではありませんでした。インドからスペインアンダルシア地方に流れ着いた異民族が生活の中で感じた苦しみや悲しみ、受けた差別などを音楽で表現したものだったのです。勿論、喜びもあったと思いますが、苦しみを表現する音楽と踊りだったのです。そのためフラメンコが芸術として認められるまでには長い時間を必要としました。今ではスペインを代表する芸術としての地位を認められていますが、最初から芸術だった訳ではなかったのです。同時代を生きた人たちが築きあげてきたのがフラメンコなのです。

 日本のフラメンコは小笠原先生や森久美子先生の力で、これからまだまだ昇って行くと思います。ここに天井はありませんから、どこまで高く昇って行くのか、これからも楽しみです。日本では小松原先生が切り開き、和歌山県では森先生が道なき道を切り開いています。「何でこんなに一所懸命になるのだろう」と森先生は話してくれましたが、それが素晴らしいことなのです。大人の私達が何かに夢中になれる時間は少なくなっています。夢中になる人がいるから、その分野のレベルが前に進むのです。

 これからも森先生はフラメンコをもっと高いところまで引っ張ってくれると思います。後に続く人達のためにも、フラメンコを高い場所に持って行って欲しいと思っています。

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