711.頂
 2009年4月16日にイチロー選手が達成した日米通算最多安打記録3,068本。その時のコメントも素晴らしいものでした。
「張本さんが見ていた景色がどんなものか、頂に登ったときの景色がどんなものかを感じたかった。今日登ったが、すごく晴れやかで、いい景色だった」。

 日本記録保持者だけが見ていた景色をイチロー選手が見た訳です。その立場に立たないと分からないことがあります。その立場に立たないと信じられないこともあります。違う立場の人のことを講評することが多々ありますが、実はその立場に立たないで講評することは出来ないのです。どんな苦悩があり、どんな決断を下しての行動なのか、同じ立場にいない他人が分かる筈はないからです。相手の考えや思いを知るためには、恒常的には無理ですが、少しだけでも同じ立場に立って景色を見ることが必要です。現場が大切なのは同じ視点に立つことができるからです。そして他人の講評をする場合は、批判ではなく励ましの意味で言葉をかけたいものです。

 誰かを応援した結果、その誰かが頂に立てた場合、応援して一緒に行動した人にも、その頂からの景色が見える筈です。
 続けてイチロー選手の言葉です。「この先をまた見てみたい」。ひとつの景色を見たあと直ぐに、次の頂を見据えています。必要な休憩時間をとった後は、もう次の頂点を目指して意識を変えています。この永遠に戦う気持ちを持っている限り、6年先にはイチロー選手が私達を世界の頂点に連れて行ってくれる筈です。

 イチロー選手がメジャーリーグ・ベースボールの最多安打記録を超えた時の景色を想像するだけでもワクワクしてきます。自分の持ち場でも、イチロー選手と同じような上昇曲線を描き、日本人として登ってみたいものです。

「僕らの世代が(後世に)どうやって表現されるか分からないが、(昔の)世代を超えていかないといけない。越えていくのはいいなぁ、と思った」。
 後に続くものは、常に先の世代を目標にして越えなければなりません。人類は進歩する存在であるとの考え方に基づくと、後の世代が人類の最先端なのです。先の世代に負けることは人類の後退を意味しますから、後の世代は先の世代を越えていくべきものなのです。

 幸い先の世代は乗り越えるべき大きな目標になってくれています。どの世界にも伝説的な人物が足跡を記してくれています。数えきれないくらいの人が先人の挑戦し、その記録や実績に到達できないでいます。不滅の記録であっても永遠ではありませんから、挑戦者が存在している限り、いつかは次の世代のものになります。

 私達は挑戦することを止めてはならないのです。後の世代が簡単に越えられる程度の実績を残すだけでは、「あの時代の人達は怠けていたのかなあ。人類としての役割を果たさなかった世代だね」と言われるかも知れません。人は頂を目指し、先人が見た景色を自分のものにする努力を続けなければならないのです。

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