689.なごり雪
 伊勢正三さんの名曲「なごり雪」のことが朝日新聞土曜版「be on Saturday」で述べられていました。伊勢正三さんは大分県津久見市で育っています。津久見市役所に勤務する伊勢さんの旧友が「ご当地ソングを作ってくれよ」と頼んだそうです。伊勢さんは「おれの歌はぜんぶつ津久見をイメージしている。詞の情景には津久見の駅や海や仲間の顔があるんだ」と答えたとされています。「なごり雪」もJR津久見駅のホームが浮かんで書き上げたものだそうです。

 繊細で素敵な歌を世に届けてくれている伊勢正三さんでもそうなのです。何かを創作する時には、全く体験のないところから発想は生まれません。余程の天才以外は、必ず何かの原体験に基づいてモノが生まれるのです。作詞や文学もそうだと思います。何も人生の体験していないのに、人の内心を素晴らしく描いた文学はなさそうです。20歳代の作家が定年後の男性を主人公にした作品は書くことが出来ないと思います。勿論、数多くの定年退職者へのインタビューを繰り返し、ひとつの作品を仕上げたとしても、定年退職した人の生々しい本音の姿を描き切ることは困難な作業ではないでしょうか。

 以前聞いた話です。映画を製作する場合も同じだそうです。全く何もないところから作品を生み出すことは困難だそうです。人気の007シリーズがあります。初期の頃の007の映画にはジェームス・ボンドに新しい兵器を提供する発明家が登場していました。子どもの頃に観た中で味を出している登場人物だったので覚えています。スーパーカーや時計に何かを仕掛けていて、危機が訪れるとそれを使用して危機を脱していました。そんなジェームス・ボンドか使った兵器も映画の製作当時には、その元になる種が存在していたと言うのです。「映画の元になる作品も、シナリオを書く脚本家も、映画監督も、全くこの世に存在しないものを生み出す発想は持っていないよ」と話してくれました。確かに世界を驚かせるような発想を持った映画人が存在していたら、特許出願しておけば、やがて映画のアイデアが実用化された時に資金が獲得できるかも知れません。

 しかしそうではないようです。映画化される新兵器のアイデアは、その時代に既に実証段階にあるものが存在しているようなのです。調べていませんが、007シリーズに登場した兵器類は、その後実用化されていると聞きました。自動車のナビゲーターやテレビ付きや相手の居場所を知らせてくれる携帯電話などがそうかも知れません。これらのものは今では当たり前のものですが、当時は私たちの生活の中には登場していませんでした。生活の中に存在していないものが格好良いものですから、007の映画に登場させたのです。

 これから世に出る技術をヒントにして007シリーズは作られたらしく、「その視点で007シリーズを観ると、これから世の中にどんなものが登場するのかが分かるからおもしろいよ」と話してくれました。

 創造力の必要な仕事に就いている人でも、多くの体験をして、見聞を広めて作品を作り出しています。私たちが「あの人には適わない」と思うのは、まだ早いそうな気がします。

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