686.幹
 2009年に訪れている100年1度といわれている経済の閉塞感を打破するためには、政治がリーダーシップをとる必要があります。しかし政治家がリーダーである時代は終わっているような感じを与えている原因の一つは国会議員の言動にあります。国民の代表が国民に恥ずかしい思いをさせることは、通常はあり得ない話です。知性と品格と思いやりを兼ね備えた人物がわが国のリーダーであるべきですが、決してそうでない状況が続いています。

 政治家は大きくて太い幹であるべきです。大きな木の下でいると人は安心できるのですが、今にも折れそうな木の下では人は雨風も凌げません。それどころか枯れかけた木には信頼という緑が茂りませんから、残念ながら折れるのを待つばかりです。

 私達は緑の茂ったこれからも伸び行く木を求めています。この国の大地が新しい緑で染まる日を待ち望んでいます。

 歴史になるような長い時間と比較して、短期的な経済危機を捉えて「危機的状況」を繰り返すだけでは枝の政治家です。将来の姿を示さないで「財政出動」をするだけの政治家も枝の政治家です。自分が現役の時間の枠の中でしか考えられない人は、所詮は枝の政治家なのです。自分の現役の時間のことだけを考えて政策を打ち出しても、その時を取り繕うだけの行為に過ぎませんから、歴史に耐えられるような政策にはなりません。

 30年後、もう少しターゲットを近くしたとしても20年後の素晴らしい国や県の姿を描ける人が幹の政治家なのです。時代によって枝葉の伸び方は違いますから、修正という剪定が必要ですが、幹が曲ってはいけません。例えば、再生エネルギーがわが国の主力であり、安全な食べ物が供給され、活き活きとした国内の道州政府が、それぞれ自立した地域事情に応じた経済により循環しているなど、具体的で希望を感じる将来の姿を描くことが私たち国民をリードするために大事なことなのです。

 多くの人は太い幹のような本格的な政治家の登場を待っているのです。

 また、人は論理だけでは動きません。ある程度、人を納得させるためには論理的考えを示す必要がありますが、最終的に人を動かすものは人柄、人格です。社会には揉め事が渦巻いています。揉め事は、言わば雨が降り続く中の土のようなもので泥になっています。 

 泥を元のような土に戻すためには、曇り空ではいけません。太陽のような暖かい性格の持ち主が泥を再び土に戻してくれるのです。

 多くは論理で人を打ち負かす人を求めているのではなくて、人間的に温かくて信頼できる人を求めているのです。人柄と人格は木の幹であり、論理力は枝葉です。枝葉だけでは木は成長することはありません。

 枝葉は論理力、根が現場を訪れる行動力、幹が人柄と人格、そしてそこから来る国や県の未来像を持っている力なのです。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ