685.地獄
 皆さんご存じの斎藤一人さん。幸運なことに話を聞く機会をいただきました。素晴らしい教えを伝えなければならないので、以下に書き記したいと思います。但し、個人の感想的文章ですから、斎藤一人さんの話した内容の主旨とは違った内容になっていると思います。あくまでも個人的な思いですのでご了承下さい。

 子どもの頃、地獄の怖さで寝つきが悪い経験がある人は多いと思います。針の山や血の池などを想像しますが、本当に地獄とは次のような風景です。極めてシンプルで、寒くて暗くて匂いのあるところです。そんな所には一時もいたくないと思います。そこにいたくないと思う場所が地獄なのです。

 ところで地獄に行くための簡単な方法があります。この世で罪にならないけれどもあの世では罪になる行為をすれば良いのです。この世では罪ではないけれど、あの世ではたったひとつ罪になるもの、それは無関心です。無関心でいることが地獄に行くための簡単な方法です。

 無関心とは、自分に関係がないと思っていることには何の行動も起こさないことです。
 子どもが倒れているのに助けないこと、ゴミが落ちているのに拾わないことなどが代表例として挙げられます。
 もっとあります。高齢者施設が近所に出来る計画があった場合、自分には関係がないといって反対することも無関心な行為です。

 万引きも無関心な行為です。万引きをしても軽犯罪なので罪は軽いと思うのはこの世のことで、万引きも無関心ですから地獄行きの最も手っ取り早い方方法なのです。店頭にある商品を盗むということは、そのお店の生活を奪うことです。その商品を売って生活している家庭がいます。その売ったお金で子どもを学校に行かせています。その売ったお金で食事をしています。その売ったお金で病院に行っているかも知れないのです。そんな生活の手段を、他人が万引きという無関心な行為で奪っているのです。人の幸せを無関心で奪う行為は絶対的に罪なのです。

 飲酒運転も無関心です。他人の命を奪う危険性があります。他人の命を奪うと、その家族を悲しみに陥れます。そして自分の家族も悲しみの渦の中に落としてしまいます。他人の命や家族、自分の家族のことを考えない無関心な行為が飲酒運転なのです。自分だけで済むような問題ではないのです。

 でも天国に行く方法があります。それは人に教わった良いことは誰から話をして伝えることです。生きる勇気を与えてくれた本を誰かに紹介することです。幸せを誰かに伝えることが天国に行くために必要な行為です。

 中には人に教わった幸せの秘訣を自分で止めてしまう人がいます。幸せを人に伝えないで全て自分のものにしようとする人のことです。幸せはドミノ倒しのようなもので、人に伝えていかないと幸せの連鎖が生まれませんから、社会全体が幸せにならないのです。誰かがドミノを止めてしまったら、幸せの連鎖が途絶えてしまいます。自分が誰かを幸せにすることが難しいのであれば、せめて人から教わったことを誰かに伝えることや感動した本を誰かに勧めるべきなのです。こんな簡単なことが出来ないでどうして天国にいけるのでしょうか。人は出来ることを、やらなくてはならないのです。

 もし無関心な人が誰でも天国に行けるとしたら、天国も幸せな世界ではなくなります。天国への入口は針の穴よりも狭いのです。マザーテレサが言ったように、愛の反対は無関心なのですから、無関心な人が愛の溢れる天国に行けることはないのです。

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