665.年月の価値
 和歌山フラメンコ協会の森久美子先生と話していると教えられることがあります。フラメンコを踊る舞台は真剣勝負です。フラメンコを見にくる舞台だとお客さんはフラメンコのことをよく知っていますから、踊り手は緊張感を持って踊ります。緊張感を持った踊りは練習とは違いますから、お客さんが踊り手を育ててくれるのです。プロの踊り手とフラメンコが好きなお客さんが舞台に緊張感をもたらし、踊り手を成長させるのです。踊り手がお客さんを楽しませ、お客さんが踊り手を成長させているのです。
 このように人が成長するためには真剣勝負緊の緊張感が必要なのです。その緊張感は練習では体験できないもので、真剣な本番でそれを味わうことができます。人は本番体験を重ねることで緊張感を味わい成長することができます。どれだけその分野の本番を体験するかどうかで、成長度合いは違って行くのです。

 人に見てもらうこと、人に聞いてもらうことが、技術向上と精神力向上につながり、技術と精神の両面を鍛えることで人は成長するのです。
 明日も初めての会場で初めての人達を前に本番の機会があります。お互いが楽しみ、向上できる機会になることを楽しみにしています。

 そしてフラメンコはただ単に、お客さんに楽しんでもらうことだけが目的ではありません。一度だけかも知れないお客さんに、短時間でメッセージを発信しています。森先生のフラメンコの経験は約20年です。20年の練習と努力の成果を一瞬の舞台で表現してくれるのです。昨日今日始めたフラメンコではありません。伝えるメッセージは多くの意味に彩られています。情熱であったり元気であったり、優しさであったり強さであったりします。観ている人の気持ちによって様々な意味を受け取ります。そして観た後から翌日にかけて、「よしやってやろう」と思ってくれるのであれば、演じた意味が最大限にあるのです。

 森先生からエルビス・プレスリーの話を伺いました。
 ある盛り場でいたエルビス・プレスリーにファンが近寄って来て言いました。「ちょっと歌ってくれないか」と。それを聞いたプレスリーは「あなたの持っているその時計をくれるのであれば歌いましょう」と答えたのです。ファンは怒ってしまったのですが、プレスリーの言葉には次のような意味が含まれていました。
 歌は形のあるものではありませんから、その価値は図り難いものです。歌声は私達の元に届いたあと消え去ります。一方、形あるものは価値が図り易いので、簡単に他人にあげることは出来ません。そのファンはその時計にお金を支払って購入しているので、例えプレスリーであってもあげることはしなかったのです。ところがプレスリーの歌は形がありませんから、無料のものだと思っていたのです。プレスリーにとっては、自身の歌が価値を生み出してくれるものだったのです。ですから、ものであれ歌であれ、価値を生み出している同じものであり、歌をプレゼントするのだったら、その代りにその時計をいただきたいと言ったのです。
 デザインや歌や踊りなどの文化は具体的な形にはなり難いものですから、それらは無料で提供してくれるものだと思っています。しかし歌や踊りの発信者にとっては、それが価値を生み出してくれる宝ものなのです。プロはその価値を簡単に発信することはしないのです。

 私からはパブロ・ピカソの話をしました。
 あるカフェでピカソがお茶を飲んでいました。そこにファンが紙を持ってきて次のように言いました。「一枚絵を描いてくれませんか」と。ピカソはその紙に絵を描いて渡しました。その時間はわずか数秒でした。そのファンは「もっと丁寧に描いてくれませんか」と言ったのです。
 ピカソは言いました。「あなたは書いた時間が数秒だから手を抜いていると思っているでしょうけれど、その絵を描くのに私は50年も費やしているのですよ」と。
 これがプロの凄さです。プロの技術に価値があるのは一般の人ができないような長い年月をかけてその技術を磨いているのです。一瞬で書いてしまう絵にも長い時間が背景にあります。一瞬で消えてしまう踊りにも、その技術を習得するまでに長い年月を要しています。そして今もなお、技術を向上させるための努力を継続しているのです。その価値を無料でお願いすることはできないものなのです。

 森先生のフラメンコは単身でスペインに乗り込んで学び、その後20年にわたって技術を磨いてきたものです。その経験の全てを買おうとすれば、数千万円以上のお金が必要ではないでしょうか。その価値を分かった上で、森先生達のフラメンコを楽しみたいものです。

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