639.小さな出来事綴り
高校時代にあるスポーツクラブに入った人は、毎日2時間も練習したのに実力が向上しなかったので才能がないと自分で思ってクラブを辞めました。二時間も練習を続けているのに実力が伸びないと思っていたのですが、大学に入り、同じ競技のアスリートに練習時間を尋ねると、毎日最低6時間は練習してきたとの回答だったのです。
 その時、自分に才能がないのではなくて、決意がなかったことが実力の伴わなかった理由だと知りました。人がその分野で実力を発揮できないのは、才能がないのではなくて決意が不足しているからなのです。それに掛ける時間の違いが決意の表れです。
 なるほど、掛ける時間の長さが決意の尺度なのです。物事を成さないのは、才能がないのではなく決意が欠けているのです。

行動しないと何も変わらないのです。行動しない人に対して誰も手を差し伸べてくれません。「困っているので相談に行く」これも行動です。「アイデアがあるのでけれど聞いてくれない」と相談する、これも行動です。学校で嫌なことがあったので不登校になった。でも何とかしたいと思って相談に行く、これも一歩を踏み出すための行動です。
 相談に乗って欲しいと思い、自ら動くことが行動することなのです。自分が動きもしないで相手が接してくれることは、まずないと思った方が良いのです。最初の一歩は自分で踏み出すことを心掛けたいものです。

本屋さんで書物を探していた時のことです。通路が狭かったため本棚の前に立っている私の前を、学生二人が横切ろうとしているのが見えました。そのまま通り過ぎると思っていたのですが、二人とも「すみません」と挨拶をして通り過ぎたのです。彼らは私の邪魔になったかも知れないと思って言葉を残してくれたのです。挨拶をしない人がいる中、学生がきちんと挨拶をしてくれたことに新鮮さを感じました。

 「すみません」と言ってくれると、こちらからも「大丈夫ですよ」と挨拶を交わします。お互いにたった一言ですが気持ちの良いものです。挨拶は他人の気持ちを優しくする道具になります。親しい同士の挨拶は、より親しみを感じさせてくれる道具になります。いつも明るい挨拶のし合える関係にあると争いは少なくなります。
 地域が挨拶のし合える関係を築くことができたら、その地域は心が優しく明るい地域に生まれ変わります。挨拶で始まり挨拶で終わる地域の元気。難解な問題であっても簡単なことから始めるとゴールは近くなります。

弔電について。本日告別式がありましたが、開始時間が早かったため弔電の電報を打つ手も開始時間に間に合わない状況でした。そこで間に合わないのであれば弔電を打っても喪主さんに伝わらないかなと思いました。
 そんな時、電話の横からアドバイスをいただきました。「弔電を打つ目的を考えると時間の遅れは関係ないと思うよ。弔電の目的はお世話になった方に想いを伝えるものですから、告別式で読んでもらうことは目的ではないですよね。もし告別式に間に合わないとしても告別式後に遺族の方は式場に戻ってくるので、その時まで式場に弔電が届いていたら喪主さんの元に届きますから、目的は達するのではないでしょうか」というものでした。
 その通りで、弔電の目的はお亡くなりになった方を偲ぶ私の気持ちを、ご遺族の方に伝えるものです。ですから弔電の到着が、告別式の時間に間に合うかどうかは目的からすると関係ないことなのです。枝葉を見ていては本来の目的を見失ってしまいます。
 今日は弔電を打つのが遅くなったため迷いましたが、適切なアドバイスのお陰で目的を達することができました。弔電の言葉に気持ちを込めて発信したのは言うまでもありません。物事は本質を捉えておく必要があります。

リーダーとは。人の意見を聞きいれ、逆に反対意見の人も包み込むだけの度量がある人のことです。自分の言い分だけを主張し相手の意見を聞き入れない人は、真のリーダーではありません。感覚で言うなら「大きさ」が適切な表現で、自分がリーダーだと思っている人は「狭い」のです。経験者が自称リーダー達と話をするとその感覚は直ぐに分かると言います。
 数字で表すと10対0で勝ったと思っている人はリーダーではなく、正論としては10対0の議論であっても、相手のことを優しさで包み込み8対2位で結論を導ける人がリーダーだそうです。強い人がリーダーではなく、優しい人が強さを兼ね備えた時に真のリーダーに脱皮するのだそうです。

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