623.一番を目指す
 勉強の全ては集中力に尽きます。集中力が学力を向上させるための最大で唯一の方策です。数学だと2時間で10問を解きます。その間机に集中し続けなければいけません。途中で他のことが頭に浮かんだり、机から離れるようなら集中しているとは言えないのです。集中力を置き換えるなら死ぬ気で勉強をすることです。

 頭が悪いだとか環境が悪いだとか、教師や塾が悪いと言うのは、全くの言い訳です。死ぬ気でやってそれでも成果が得られないとしたら、そこで初めて自分以外で成果が上がらない要因を考えるべきです。死ぬ気でやらないで他に要因を見つけようとしても全く意味はありません。集中力とは死ぬ気でやること。これで全ての問題は解決します。
 「死ぬ気でやっている」と聞くことがありますが、例えば1時間で勉強机から離れるだとか、一週間続いたけれども、その後の勉強が続かないなどの事例があります。これでは死ぬ気でやったとは言えません。死ぬ気でやることを継続することは素晴らしい能力です。受験勉強であれば長くて一年です。受験勉強に限らず、人生の出来事は苦しいことがあってもずっと継続させる必要性がある訳ではありませんから、死ぬ気で頑張ってみる経験は味わってみることです。

 加えて、どれくらい頑張ったら一番になれるか、一度だけでも挑戦することが大切です。つまりどの分野でも良いので一番になる経験を持つことです。
 算数でも国語でも水泳でも良いので、一度は一番になる努力をすべきです。例えばクラスで五番であっても問題はないのですが、五番から上を目指そうと思って勉強に取り組むのと、一番を目指そうとして勉強に取り組むのとでは全く努力の強さが違います。

 一番になるための努力は二番になるための努力と質が違うのです。どの分野でもどの学校でも一番の生徒がいます。その壁は高いことを知り、そこに立つためにはどれだけの努力が必要なのか、努力をすることで初めてその位置の高さを体感し、そこに進むための努力がどれだけのレベルなのかを知ることができます。
 一番になるための過程と体験は、二番手の体験を百回するよりも貴重なものです。勉強においてクラスで一番になる。水泳においてクラスで一番になる。ここに至る体験と努力の深さは経験しないと絶対に分かりません。そして一番になるため努力をした経験は、他の分野にも生かされるものです。

 一番と二番の違いとは、二番と百番の距離よりも大きいと聞くことがあります。百番の人が二番になることよりも、二番の人が一番になる方が距離は遠くて難しいのです。その壁を乗り越える努力は、正に死ぬ気で頑張ることなのです。死ぬ気でやれば大抵のことは達成できるとも聞きますが、目標を達成できないのは死ぬ気で取り組んでいないことが原因です。死ぬ気でやっても死ぬことはありませんから、その限界点に達する感覚が分かり難いのです。一度限界を通り超えると、何となく壁の高さを感じるようになります。
 一番になる体験。一度は目指したいものです。

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