591.母の入院
 母親が入院しました。が、腰の手術で元気になるためには賢明な判断だと思っています。
 もう10年も前から腰痛を抱えていたのですが、痛みが慢性化していて放置しておくと良くないので思い切って手術に踏み切りました。
 大丈夫だと言われていますが、やはり手術は不安なものです。73歳になっているので、体力のある内に手術をして治しておく方が今後の生活が楽になりますし、旅行や地域活動にも参加し易くなります。

 母親の手術前のお見舞いに行くと、何故か不思議な気持ちになります。子どもである私は母親に付き添われた記憶はあるのですが、今回のように逆のケースの記憶がないからです。母親は健康体なので、病気で入院することは滅多にありません。私も母親から健康な身体を譲り受けているせいか極めて健康体で、大きくなってから入院の経験はありません。

 ところが小学校2年生の時に扁桃腺の手術を日赤病院で行い入院した経験(記憶)があります。手術をしたのは、幼稚園から小学校に掛けて身体が弱くて、風邪ばかり引いていました。当時、自動車は普及していない時代でしたから、母親が自転車で病院に送ってくれたのを記憶しています。今は存在しない田村病院がそれですが、毎月のように風邪引きのため病院通いしていたのです。

 風邪を引く原因は扁桃腺が肥大化していることにあると診断され、小学校に入ってから手術に踏み切ったのです。遠い記憶ですが、ペンチのような器具で扁桃腺を切断したため喉から大量の血が吹き出たと覚えています。子どもですから、初めて経験する凄い痛みでした。衣服に血が飛び散り涙を流した記憶もあります。

 今日、母親が入院している姿を見ていると、不意に当時、手術中はずっと母親が横で見守ってくれていた姿も思い出しました。一人でないことで不安が和らいだのかも知れません。扁桃腺を切ってからは健康体に変身し風邪も滅多に引かなくなりました。現在の健康な身体になった陰には、この時の母親の判断があったのです。

 今回はその逆です。手術する立場は当然に不安ですが、見守る立場も不安と心配が絶えないことが分かりました。いつの時代もそうですが母親が子どもを見守り続けることは大変な役割であり、重要な仕事であることを実感しました。
 当時は若かった母親と当時は幼かった私ですが、2008年現在、70歳を超えた母親と決して若くはない私がいます。これは不思議な感じがするのです。当事者はいつも子どもで、見守ってくれている役割が母親だったのです。つまり、家族の中では子どもはいつも主役で、両親は脇役を演じてくれていたのですが、時間の経過と共に立場が変わる時もあることを知りました。見守ることは大変しんどいことですから、その役割を担い続けてくれている両親の偉大さを改めて感じます。

 先に受講した研修会では、愛情を持って育てられた子どもは、他人に愛情を分け与える子どもになると教えてくれました。そして愛情を持って育てられた子どもは意外と少ない事実も知りました。その先生の経験では、100人中わずか2人から3人くらいだそうです。
 ですから愛情を持って育てられたことは、凄く幸せなことで感謝すべきことなのです。子どもの犯罪や大人になりきれない人の犯罪が多発していますが、このように社会が歪んでいるのは、子どもが直接の原因かも知れませんが、背景には両親の愛情の欠如が潜んでいます。子どもが病気の時、愛情を持って見守ってくれる姿。小学校に行く時には姿が見えなくなるまで玄関から見守ってくれている姿。運動会には必ず応援に来てくれる姿。遠足の時も弁当を作ってくれて、「ちゃんと行っているのかな」と陰で心配してくれている姿。
 全てが子どもへの愛情の塊です。

 そんな愛情を太陽の光のように浴びて育った子どもは、他人に光を自然な振る舞いで分け与えられる大人になるのです。太陽は太陽を育てますし、北風は北風を育てます。両親は子どもにとって太陽のような存在でありたいものですし、いつまでも輝く存在でいて欲しいものです。
 入院している姿は似合いませんが、手術後は直ぐに元気になって、今まで以上に輝く存在でいて欲しいと大きな子どもは願っています。

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