565.送辞
 こんな日が突然にやってくるとは思ってもいませんでした。
 1977年、高校一年の同じクラスの教室で出会ってから、信じられないことに30年が経過しています。学生時代のように自分で都合の付けられる時間が少なくなったので、以前のように会う機会は少なくなりましたが、それでもつながっていたと思っていました。社会の真っただ中にいると自分の自由な時間が取れなくなりますからね。

 一年365日、本当に一日も休まないで天職である獣医の仕事に務めていましたね。たまの休診日でも最近の技術を学ぶために中央に走っていましたね。
 実はお母さんからも「息子にゆっくりするように話してあげて」と言われていました。予想していたように頑固な君はそのことを聞き入れませんでしたが、お互い働き盛りの年代を迎えているので、頼もしくもありました。
 そう、間違いなく地域社会で無くてはならない存在になっていることを感じていたからです。明るい性格の君の医院はいつも患者さんで賑わっていました。「大丈夫」の言葉に多くの人が励まされたことでしょう。

 君の性格は豪快であり怖いもの知らずでした。
 外国への一人旅での出来事をお互いに話し合ったことを思い出します。戦車が街中を走りまわっていたギリシア。天才ガウディのスペイン。ニューヨークのクリスマス。ミラノのショッピング街のことも話し合いましたね。上手く撮れた写真を交換するなど、全て楽しい思い出です。

 大阪府立体育館の辰吉状一郎選手の試合は、熱気で汗だくなのに辰吉選手のファイトに背筋が寒くなるほどしびれました。二人のスパーリングも忘れられない思い出のひとつです。
 私が和歌山市議会議員選挙に出る時には、投票に関係のない田辺市の病院だったのに、室内用ポスターを張ってくれました。「仲間から議員が誕生するのは嬉しいことやないか」と和歌山弁での励ましでした。

 2008年6月6日、その日は突然にやって来ました。
 「関が死んだ」。
 聞いた言葉を疑う、予期もしない信じられない連絡した。盲腸の手術と思っていたのが、実は癌だったと初めて知りました。医師の告知から2年間、誰にも言わないで闘い抜いたのです。

 今はただお疲れ様の一言です。
 30年間の積み重ねが崩れ落ちていくような感じを受けています。しかし不思議なもので崩れ落ちて行く間、積み重なった埃が剥がれ落ち、中から新鮮な色合いの忘れていた思い出も蘇ってきます。

 いまは語る言葉はありませんが、これから更に30年以上も続くと思っていた親友の関係は心の中に持ち続けたいと思っていますい。そして崩れそうになった時には、持ち前の明るい声で励まして下さい。「辛くても負けるな。いつも見ているぞ」と。
 これからは君がまだ果たしていない夢と、生きたかった人生を背負って、二人分の充実した人生を過ごすことにしています。

 2008年、お互いに46歳。これから年の差は離れて行きますが、私に残された人生は君が見守ってくれているのだから、今までの二倍、充実していくような気がしています。

 気がつけば残された時間は少なくなっています。青い空のように天井がないほどの時間が与えられていた時期から、山頂のからの素晴らしい景色を見て帰り道を歩いているような時期に差し掛かっています。
 この旅は限られた時間であることを感じ始めています。
 これからの役割はたったひとつです。先人たちが築き上げてきたものが山の頂で見た素晴らしい景色ですから、それを上回る素晴らしい景色を世の中に築くことです。次の時代の人が私達と同じように人生の山を登った時に、その皆さんが「素晴らしい景色だね」と思えるようなものを残したいと考えています。

 そう、山とは人生であり、景色とは社会で実現させた結果です。
 今はただ、脱力感が支配している精神ですが、それは親友である君に別れを告げる今日だけです。
 明日からは再び、今まで見た景色よりももっと素晴らしい景色を築くつもりです。
 「私達の生きている時代はまだまだこんなものじゃない」と信じています。

 果たしてどれだけの時間が与えられているのか分かりませんが、次の世代にバトンを引き継ぐまで、もう少し時間があると思います。君が一人の高校生を獣医師の道に導いたように、私も活動を今よりも前進させて、素晴らしい景色を作ってくれる誰かにバトンを託す時期を迎えたいと思います。
 その時は少し余裕があると思います。そして、あの頃のように語り合いたいと願っています。

 お互いが16歳だった時から気がつくと30年も歩いてきました。あの頃に語り合った夢とは違う道を歩いているような気もしていますが、到達地点はまだ見えていませんから、まだまだ伸びる余地はあると感じています。
 「みんなこれからどれだけ偉くなって行くのだろう。楽しみだな」と話してくれましたが、自分でもまだ分からない「これから」を、天国から見ていて下さい。もしかしたら、君の意思でどこかに導いてくれるかも知れませんね。
 46年の人生、お疲れさまでした。
 そして知り合ってからの30年間、本当にありがとうございました。

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