553.人として
 人は自分の生まれ育った環境を土台として生きています。両親、学校の先生、会社の上司、習い事の師匠などに導かれて現在があるのです。ですから子どもとしての自分が、後輩としての自分が、生徒としての自分が、弟子としての自分が、仮に社会的立場や技能の面で先輩を追い越すことがあったとしても、敬う気持ちを決して無くしてはいけません。

 何故なら、自分を育ててくれた人がいたからこそ成長できたからです。両親が、先生が、上司がいかなったら、現在の自分は存在しないのです。一人で成長したかのような、一人である程度の地位を獲得したかのような思いは錯覚か奢りに過ぎません。

 ところが不思議なもので、同門の人同士が対立する場合があります。成長に伴って基礎を築いてくれた土台を忘れてしまい、最初から一人前であったかのように錯覚するのです。

 人はそれぞれ違った考え方を持っていますから、狭い心の持ち主が同じ土俵に立つと意見の相違から、同じ方向に進めませんし、時には対立する場面が生じます。ところが大きな視点を持つと違って見えます。意見の違いがあるけれども、目的地は人生を持ってしても到達出来るかどうか分からない程に遠いので、目指すべきものを見失わなければ多少間違いは笑って過ごせるのです。

 大は小を包括しますから、小さいところに合わす必要性は全くなく、悠然と進むべき道を目指せば良いのです。小さい論点で争うようでは目的地に立つことは敵いませんから、「それもあるしこれもある」。全てを包み込んでしまえば問題は生じません。

 師は技術的や知識的には越えることを目指すべき存在ですが、育ててくれた感謝の気持ちは持ち続けるべきものであり、感謝の念は追い越せるものではありません。
 両親と先輩、そして師匠など自分を導いてくれた人は、いつまでも敬う気持ちを持って接するべきなのです。そのことが更に自分を成長させてくれますし、例え後輩に追い越された先輩であっても活動を陰で支えてくれるのです。裏切りからは発展はありません。信頼から発展は生まれるのです。

 ところで私達は神様、仏様を敬い信じています。大切な精神ですが、それと比較して両親への感謝の気持ちは、それらと比較して弱いように感じます。両親がいなければ、生きている私達全員の存在は無だったのです。ですから両親は敬うべき存在ですし、私達をこの世に送り出してくれた神様のような存在でもあるのです。

 技や知識を与えてくれたのが師であるように、両親は最も大切でかけがえのない生命を与えてくれたのです。ふたつとない生命を授けてくれた両親への感謝の気持ちを忘れるようでは、その人に将来性はありません。
 人として、導いてくれた先人を敬い、育ててくれた土台を大切に、そして両親への感謝の気持ちを変わらずに持ち続けたいものです。それが人としての道です。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ