507.この世に残すもの
 人はこの世に何を残すのか。考え方を残すのか、社会のしくみを残すのか、次の世代を残すのかのどれかだと思います。決してモノを残すのではないのです。生きている間はモノが大切で、宝物や貴重品として大切に扱うものがあります。しかし所有者がいなくなると忽ち、モノは色あせてしまいます。主人公がいてモノは輝くのです。
 ですから残すべき対象はやはり、考え方を記す、社会のしくみを創る、次の世代を育てる、の三つだと思うのです。

 考え方を残すためには記す必要があります。素晴らしい言葉を発したとしても記録に留めておかなければその瞬間に消え去ります。消え去った言葉は二度と同じ形で姿を現してくれません。著名人でない限り誰も言葉の記録を取ってくれませんから、一般的には自分で記す以外にないのです。最低限、子どもに対して自らの経験を伝えておく必要があります。自分の生きた標を子どもに伝えることは大切です。単に経歴だけを記すのではなくて、経験や社会から学んだことを伝えるべきです。親の生き方を伝えることは、いつの日か子どもにとって役に立ちます。初めての道を歩く時には案内書がある方が安全な冒険が出来るからです。無謀と計画を立てた冒険とは違います。

 生き方に基づいた考え方を伝えることは簡単だと思うでしょうが、それを記して伝えることは案外難しいものなのです。試しに、生まれてから今までの人生の出来事や考えたことを紙に書いて(ワードなどで入力して)見ると分かります。本に出来る程、書きだせる人はまずいないのではないでしょうか。恐らく数頁で終えると思います。そこで初めて、自分の人生の出来事はこの程度だったのか、或いは、子どもに伝えられるような考え方を書き出せないことに気付く筈です。

 それだけ毎日を真剣に生きていないのです。毎日を生きているなら、記すべき物語は始まっているのです。小さな出来事から学んだこと。何気ない会話の中で見つけた素敵な言葉などは自分の糧になりますし、それらは記すことが可能です。生きることとは物語になって行く小さなことの積み重ねなのです。物語を生きるためには、最後まで自分が主人公であり続ける必要があります。組織においては上司の指示通りに動いている。或いは、世間や他人の目を気にして生きている、または、考えることをしないで漫然と日々流されているようでは物語にはなりません。自分の言葉で記すためには自分の物語をしっかりと綴る必要があるのです。自分だけの物語を作り、それを次の世代に伝えることが出来る、それが生きていることなのです。記すことが考え方を残すことになります。これは自分のためにも生きた標とするためにも実行したいことです。

 次に社会のしくみを創ること。これは事業家の取り組みに代表されるように、より良い社会に役立つ製品を社会に送り出すことや、これからの方向性に向けて舵を切ることです。
 マニュアルではない価値観を創造することが社会のしくみを創ることです。
 最後は次世代を育てることです。何事も一代で達成出来ることはそうそうありません。全てをやり遂げることは難しいとしても、夢を託して社会の主役のバトンを次の世代に渡すことは出来ると思います。一人でバトンを持ち続けていると次の走者に追い越されますから、社会的役割は適切な段階で譲るべきなのです。

 私達は全力で走り切れる数十年をリレーしているのです。前の世代から受け継いだバトンを、例え数十メートルでも全力で前に進んで次の世代に託す責務があるのです。全力疾走が出来ないのに一人で長くバトンを持ち続けると、時代に追い越されますから次の世代が困ることになります。全力で走った後は次の世代にバトンを譲り、自分は自分のペースで最後まで走り続けたら良いのです。それは次世代の走りを見守っている監督のような立場です。選手から監督へ、人生の色々な役割を楽しみたいものです。

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