500.コラムの言葉
 コラムが500回を迎えました。コラムを書き始めた当初、1,000回掲載を目標にしていましたから、丁度折り返し地点となりました。これも1,000回を目標として掲げていたことから中間地点まで到達でき、そして次に向かえているのです。如何に目標の力が大きいのか、実感することが出来ます。

 コラムを読み返してみると継続することの大切さが分かります。言葉は瞬時に消えてなくなります。どれだけ良い話を聞いても、どれだけ感動した話を伺っても、翌日にはその半分は忘れてしまい、数日経過すると大部分の記憶が消え失せ、言葉が再び戻ることはありません。真っ白い雪が降った後は、周囲は白となり、今までとは違った世界のように見えます。しかし直ぐに跡形もなく融けて元の世界に戻ります。言葉を加工しないで放置しておくと、一瞬は雪が積もったようにきれいになりますが、数日もすれば何も残らないのです。感動や体験を言葉として受け入れることが自分を高めてくれる方法です。人はそれらを言葉に置き換えて記憶しますから、言葉にならないものは記憶出来ませんし、もう一度表現出来ないのです。

 そのため、どれだけ為になる話を聞いても、記録しておかないとそのことを基にして何かを実践することは難しいものです。その言葉が消えてなくなっているからです。私達は教えられていないことを人に話すことが出来ないように、素晴らしい言葉も記しておかないと再び取り出すことが出来ないのです。言葉の魔力を自分の力に転換しようと思えば、自分の言葉に置き換えて記録し、時々見返す行為が必要です。
 他人からの言葉を一度受け止めて自分の言葉で表現する、そして記すこと。これが言葉の魔力を高めてくれる方法です。

 もうひとつ、歴史は言葉によって造られます。歴史に立ち会うことは限られていますし、歴史上のその時代に存在していない現在の私達は、過去の真実を知る術はありません。歴史を知る唯一の方法は当時の記録が頼りなのです。歴史は言葉の記録ですから、時の権力者が都合の良いように真実と違う記録をしていたとしても、その記録が事実として後世では存在しているのです。
 自分の歴史も言葉によって造られます。生きた証、経験や知識は、次の世代に伝える義務があります。その伝える方法で最も優れた手段は言葉なのです。

 500のコラムは、過去の体験から学んだことや得たものの集積です。確実に存在した過去の自分と当時の思いや考え方がここに残っています。成長の過程でもあり、何もしなければ消えていた大切な言葉を、再び使える状態にして保存しているようなものです。
 たった500の日々の言葉ですが、今まで支えてくれた言葉と体験ですし、これからも支え続けてくれる言葉達なのです。でもこれからも、経験すべきことが待っていますし、言葉で表現すべき出来事が発生します。これからも続く道のりが、今から楽しみです。

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