471.30年後
 昭和52年卒業の中学校の同窓会に参加しました。小・中学校の同窓会は卒業以来、初めての開催ですが、中学校を卒業してから30年が経過していることになります。
 参加者は約60人、幹事役を買って出てくれた皆さんに感謝いたします。30年間も連絡が途絶えていた同級生の連絡先がよく分かったものです。面白いことに顔を見て直ぐに思い出せる人と面影がなく名前が思い出せない人がいるのです。

 中学校を卒業して以来ですから、大人になって今までそれぞれの全く違った人生があったことを知ることが出来ます。自営業を引き継いだ人、医者になった人、公務員になった人、飲食店を経営している人、会社員の人など、子どもの頃の理想と現実は合致しているのか、それとも違ったものになっているのか人それぞれですが、ただ言えることは、全て自分が選択して来た道だと言うことです。全ての交差点でどちらの方向に行くかを決めたのは自分以外にありません。中には他人に背中を押されたという人がいるかも知れませんが、例え背中を押されたとしても、交差点を超えて直ぐなら引き返す選択肢もあったのです。その道を選んだのは紛れもない自分なのです。

 その中で一つ印象深い話がありました。
「中学生の頃、司馬遼太郎氏の「竜馬が行く」を読んで憧れたことがあります。自分も大人になった時には世界を駆け巡って、人のため世のために尽くしたいと思いました。また商社を作って世界を股に駆けたいと思ったものです。そのためには商社に行くか、貿易の仕事をしたいと考えました。ところが今では和歌山市内で商売をしているのです。これで人生良いのかなぁと考えることがありますが、年齢を考えると他の道に方向を変えることは難しいのです。かなり思ったのと違った人生になっています」。これは個人特有の問題ではなくて、多くの人が年齢を重ねた時に思うことです。

 引き返すことが出来ないのが人生、それに気付いた時に、夢と現実を比較して自分の人生はこんなものではなかった筈と思うのです。しかしそれは夢ではなく現実のもので、気がついたら数十年が経過しているものです。
 でも考えて見れば、商社ではないのですが、結果として商売を職業としているのは、思い描いたことが実現しているのです。世界を相手にしている訳ではありませんが、商品の流通を通じて社会に貢献していることに変わりはないのです。思い描いたとおりに現実はなっているのですが、真の到達地点を世界だと強く思わなかったのかも知れません。到達地点を生活基盤のある域内を心で具体化させたことで、域内で商売することになったような気がします。

 でも30年が経過して今があるのではなくて、その時、その時の積み重ねが今と言う時ですから、確かに今から世界に舵を切るのは厳しいかも知れませんが、これもやってみないことには結果は分かりません。幾つものコースを走り選択肢を抱えた生き方をしていると、複線レールのように途中からでも切り替えることも可能ですから、今の活動の領域を少し拡げることもこれらからの手段として有効です。
 夢と現実にズレがあるのは仕方のないことですが、その差を少なくする努力は何時までも必要なことです。点線で書かれた夢の折れ線グラフに、現実の実線を合せて行く生き方をしたいものです。

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