コラム トップページに戻る

 440.闘い
 闘病のため入院生活をしている友人を見舞いました。平成19年5月1日に入院、翌週の7日には手術を行ないました。手術までの経緯は、4月27日、突然、左目がかすみ、疲れているのかなと思ったそうです。疲れただけだと思っていたのですが、翌日も左目がかすんだままだったのです。それでも仕事を継続し5月1日、人間ドッグに入りました。左目の異常を訴えたところ、医師は直ぐに異常を察し、総合病院に紹介状を書いてくれました。5月1日、当日、総合病院に行ったところ直ぐに入院が確定。手術へと向かいました。

 左目の異常の原因は、左目の奥に発生していた腫瘍でした。眼球の奥と脳間の空間に腫瘍が大きくなり、眼球の視神経を圧迫していたのです。そのため目がかすんでいたのですが、問題はその腫瘍が悪性だったことです。つまりは目の奥の癌です。
 目の奥の癌。発生件数が非常に少ない珍しい症状なのですが、本人にとっては現実でした。医師から告げられた時は、目の前が真っ暗となりバランスを崩し、その場に倒れこんでしまったそうです。友人は私と同じ年の45歳。まだまだ病気には罹らないと思っている年代ですし仕事も充実している時ですから、自らの体に癌が潜伏しているなど予想も出来ないことです。そして、この年になって自分の人生を切り拓いている生を実感していると、死の影は姿を消しています。年収1千万円の地位を投げ打って独立、現在は年収約300万円に下がりましたが、三年後には1千万円に戻すことを念頭に置き、仕事に励んでいた矢先でした。その影が影でなくなり目の当たりになったのです。

 癌を宣告された時の気持ちは想像出来ませんが、一気に死を現実のものとして実感することになります。そして生はいつまでも続くものではないことも、実感することになります。生と死がクロスする瞬間。全ての価値観が変わってしまいそうです。
 向上心や働き甲斐などの精神的欲求、モノやお金などの物質的欲求の価値から、生の要求に価値が移ります。今まで輝いていたものが輝きを失い、今まで感じていなかったものを感じるようになります。ただ生きていることだけが尊いことに気付かされるのです。

 価値観の転換。それは何よりも大きな変化です。明治憲法から現憲法に変わったような、大きな価値観の変化がある筈です。それまで自分が培ってきた価値観が全く通用しないことに気付いた時、人は何を思うのでしょうか。
 新しい希望なのか、絶望なのか、それは人により様々ですが、今までの生きている価値を超えた新しい希望を感じることが出来た時、生まれるかのような生の実感を得ながら、人は再び生きることを選択します。
 それは子どもが大きくなる時のような溌剌としたものではなく、厳しい現実と向かい合いながらの生となります。抗がん治療による傷みと倦怠感、涙が出るような痛みだそうです。左目の奥への抗がん治療は、鼻を通しながらのものとなります。鼻の中は火傷のように焼き爛れた状態になり、痛くてたまらないそうです。
 
 それでも4人部屋のベッドの上で、痛みと戦いながに某大学の通信教育の論文を書いています。5月1日から本日までの約二ヶ月間で三本の論文を書き上げています。そして8月から始まる予定の東京本校でのスクーリングにもエントリーしていますから、凄まじいまでの精神力です。年齢を重ねて再び勉学の必要性を感じ、大学の通信教育を始めて現在は3年目です。順調に単位を積み重ねていますから、苦しいでしょうが何としても大学も、病気からもあきらめないで卒業して欲しいものです。
 卒業。希望と切なさを感じる言葉ですが、卒業した後の違った人生の感激を再び味わうためにもしっかり治して卒業して下さい。

 そして嬉しいことをひとつ紹介させて下さい。本当に厳しい抗がん治療で励みにしているのは私の県議会議員としての活動だと聞きました。市議会から県議会へ、安定を求めるのではなく活動することの選択と、現在の活動を励みにしてくれているのです。そして6月定例会が終わったことも知っていて、「一般質問を聞きに行きたかったのに行けなくて残念だった」と話してくれました。一緒に闘えることは私にとっても喜びですし、厳しい世界ですが共に勝ち残る覚悟です。生きるための励みにしてくれていることに感謝しながら、その期待に応えていくことを改めて誓いました。

 それにしても、自分の闘病生活だけでも心身とも大変な状態なのに、同じ年である私の体のことも心配してくれました。
「無理をしないで少しは休んで、体を大切にして欲しい」
 次は病室ではなく、気を使わない居酒屋で会いたいものです。

コラム一覧に戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ