371.児童への英語教育
 児童への英語教育に関しては賛否がありますが、少なくとも韓国や中国の児童は自国語と英語を習得している現状があることから、間違いなく児童と国家は将来の国際競争力を身につけています。日本は経済大国であるし歴史があるから、英語の読み書きが出来なくても日本は特別の国であるし、世界が日本を求めていると考えるのは疑問です。

 個人的にも、インターネットの時代において必要な文献などは入手する環境があるにも関わらず、英語の論文を読めない現状に悔しい思いをしています。翻訳するためには経費がかかりますし、日本語本として出版されるのを待つと時期を逸してしまいます。また英語を英語で理解するのと誰かが翻訳したのを読むのとでは作者が訴えたいニュアンスが微妙に異なります。
 情報化の恩恵を受けられないのが英語力の不足している日本人なのです。これから益々情報は世界を駆け巡ります。現在の児童が大人になる頃に、現在の大人である私達と同じ苦労と英語が出来たらなぁと思わせないためにも英語力を身につけるための教育が必要です。

 当然のことですが、日本の経済力や技術力は全て人が所有しているものです。国家や企業が保有しているものではありません。勿論、知的財産で保護されるものがありますが、技術や頭脳は人についているものですから、競争力を維持、または高めるためには国際化に応じた人材作りが最大の課題です。そのためには日本語を大切にしながら、英語で考え交渉出来る能力も身につけることが必須です。
 何も英語だけが出来たら良いと極論はしていません。何事もバランスが大切ですから、日本語も英語も学ぶことで、ふたつの言語の特徴を活かしてより広い論理力と交渉力などが身につく筈です。

 他の国の人が出来ているのに、日本人だけが英語で考えると国を滅ぼすと考えるのは極端ではないでしょうか。児童の時期から英語を学ぶことは日本の文化を失うことにつながり、日本語が乱れると言う意見があります。しかし現在の児童が使っている日本語は乱れていないと言えるのでしょうか。英語も出来ない、そして日本語も乱れている状態になっているような気がします。
 大切な日本語の教育ですら、全体の一部かも知れませんが日本語の乱れを鑑みると怪しいと思わざるを得ません。

 敬語、尊敬語が姿を消しているような状況や意味不明な短縮語の乱製造、年長者に対しての不適切な言葉遣いなど、日本語力自体が低下している中で児童に対する英語教育は更に日本語力を低下させるとは言えないような気がしています。
 問題は英語教育のあり方です。日本国内において何年英語を勉強しても身につかない教育方法が間違っているのです。各国には自国語を大切にしながら英語を身につけるための教育メソッドがありますから、参考にする、そして導入することが求められます。
 国際化社会において、今までどおり英語が出来ない人を養成することが正しいのか、教育に携わっている指導者には考えて欲しいものです。

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