361.行動と変化
 藤原紀香さんの国際的な貢献活動は勇気を与えてくれるものですし、何か行動を起こすことの大切さを感じます。
 藤原さんがボランティア活動を決意した原点は阪神淡路大震災の経験にあります。当時モデルをしていた藤原さんが関西空港に帰国したその日が阪神淡路大震災当日だったのです。出発した時と様変わりした神戸のまちを見た時に、両親や友人への思いと同時に、人生の明日は何が起きるか分からないので、失敗しても良いからやりたいことをやるべきだと思ったそうです。全てを掛けて芸能活動に反対する両親を説得して神戸から東京に向かいました。

 その思いの一つに、無名である自分が困っている人達へのボランティアの活動を訴えても、誰も集ってくれないし話を聞いてもくれないから、芸能界で生きていくことが出来たら、マスコミでも取り上げてくれるなど影響力が出る筈だから、何としても世に出なければならないと内心誓ったようです。
 同じ内容を訴えるにしても、社会的に影響力がある人が発言するのと残念ながら無名の人が発言するのとでは、社会への浸透度合いは全く異なります。影響力がある人が社会で求められている内容について発言すると、新聞やテレビで取り上げられ全てではないにせよ全国に伝わります。今だったらインターネットにより、重要なニュース扱いで世界へ発信することも可能です。

 現実問題としてボランティアをするには、まず経済的に自立した自分があって初めて他人の支援活動が可能となります。経済的に自立していない立場で他人を支援する活動はとても困難です。生活が成り立っていない状態では活動するためのお金の問題がありますし、それよりも社会的に自立出来ない人が他人の役に立てるとは思えないからです。
 まず経済的に自立すること、そして社会で認められることがボランティア活動につながります。社会で認められた後、それ以上に影響力を与えるためには、自分の仕事で認め続けられる必要があります。
 そうしてようやく社会貢献活動に向かうことが出来るのです。それは経済的にも精神的にも自立した自分がいて他人の役に立てるとも言えます。

 藤原さんは芸能界で成功して、兼ねてから考えていた行動を起こそうとしました。阪神淡路大震災がボランティアを意識した最初のきっかけだとすれば、第二弾はニューヨークのワールドトレードセンターへのテロ攻撃です。第二の家族と呼べる方達が住んでいるニューヨークに向かい、跡形もなくなったグランドゼロに立った時、アメリカ国民から報復の対象となっているアフガニスタンを意識したようです。
 起こしたテロ行為は非難されるものですが、アフガニスタンに住んでいるテロと関係のない子どもや女性達の生活はどうなっているのだろうかと思うと、居ても立ってもいられなくなったそうです。早速、アフガニスタンの状況を日本に伝えるための企画を立ててテレビ局などに提案したのですが、女優がアフガニスタンに行く企画は危険すぎるため採用されませんでした。

 それでも事務所の説得とアフガニスタンに精通している団体の理解を得て、アフガニスタンに行くことが現実のものになったのです。アフガニスタンへ行く目的は、戦争に関係のないアフガニスタンの人達を励ますこと、現状を自分の言葉で伝えることにより平和を訴えることだと推測出来ますが、目的を達成するには自分の生命を危険に晒すことに他なりませんから命を掛けた決断をした訳です。
 アフガニスタンで見たものは現実と思われないものでした。機体が真っ二つに折れた飛行機が横たわっているカブールの国際飛行場。少し道を逸れると地雷が埋まっている場所になっている危険な道路。地雷を踏んで足を失くした子ども。地雷に触れて手の指を失くした子ども。両親を目の前で殺害されたショックで眼球が裏返ってしまい視力を失くした子ども。

 それでも明日を見つめる子ども達がいたのです。地雷の埋まっている危険な道を往復3時間も掛けて通学している子ども。折れた飛行機を直すための技術者になりたいと目を輝かせる子ども。足を失くした人達に義足を作って歩けるようにしてあげたいと願っている子ども。日本は平和な国だと言いながら、アフガニスタンが好きだからこの国に残ると未来を見つめている子ども。人の希望から国の希望が見えるようです。
 大切なことは自分が出来る範囲で行動を起こすこと。自分が今までの行動から脱皮すれば少なくても周囲に変化を起こすことが出来ます。少しの揺らぎが振動を起こしてやがて確実な変化につながります。
 変化は期待するものではなく自分から作り出すことにより起こすことが出来ます。

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