289.伝えるもの
 先輩方と昔話をしていると、本当に生きている時間が経過するのは早いものだと知らされます。若い頃にお会いした先輩達は随分年上に思ったものですが、今思うと先輩方は当時まだ30歳前後だったのです。当時、30歳と言うとベテランで何でも知っていて教えてくれる存在でした。
 意識しないうちに自分の30歳代は過ぎ去りました。思い返すと自分の30歳代に十分な後輩指導が出来たのだろうか、若い自分が思ったような何でも知りえる先輩であったのだろうか、疑問が残ります。当時の人生の先輩達は、後輩を優しく厳しく導いてくれていたように感じます。

 先輩方はいつまで経っても優しく心配してくれています。今は会う機会が少なくなってしまったある方から「頑張っているのは聞いているよ。決して高慢にならないでその調子で活動を続けてくれたらいつまでも応援するから」と声を掛けていただき、3年前の統一地方選挙でのこぼれ話を伺いました。
 それは、その方が尊敬している先輩から自筆の手紙を受け取ったそうです。内容は「私の期待している新人の片桐が和歌山市議選に始めて挑戦するので、是非応援してあげて欲しい」と言うものです。初めて聞く内容に感激しました。他人のために、しかも随分年の離れた後輩のために自筆で支援を依頼してくれていたことを知り、改めて私が先輩に何をしてあげられているのか考えさせられました。結局、好意を受け取るばかりで何もお返しが出来ていないことを反省しています。

 届かないかも知れないけれど、遠く離れた土地にいる先輩に心から感謝しています。支えられてばかりですが、更に経験を積み支援してもらえている気持ちを多くの人に還元させてもらいたいと思う次第です。知らないところで支援してもらっていることを第三者から聞くと感激ものです。年に何度かお会いしているのですが、決して自分からはそのようなことを言ってくれません。今更ながら好意に甘えてばかりいることを反省し、早く後輩の皆さんに勇気を与えられるようになりたいと思うばかりです。

 経験者から見ると頼りないと思っているでしょうが、それでも活動に対して文句を言わないで暖かい気持ちで見守ってくれています。一人で出来ることは限られています。自分で気づいているかいないかの違いがありますが、周囲からの支援があって初めて市政に対して発言できる場を与えてもらっています。そのことを忘れないで今後とも期待に応えられるような活動を行う気持ちを新たにしました。
 人生の先輩、経験者から教えられることは大切な心であり、幸運にもそれを受け取ることが出来た人は後輩達に伝えていく義務があります。経験則を伝えることで人は成長するものですし、自分が経験しものを伝えられている地域や組織は成長を続けます。
 当たり前のことですが、年齢を重ねても人生の先輩の年齢を超えることは出来ません。生まれた順番は生涯変わることはないのです。役職位や社会的地位は仮に与えられているに過ぎないものですから、そんなことは人の生き方の評価になりません。
 次の世代がやり易くするために経験則を伝えること、早く責任を継承することが出来る人は尊敬に値する人です。そんな考えを持つ人の集団は強くて大きくなります。全員で更に先を目指している、バトンを渡していることで同時に個人も成長しているのです。

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