270.受け入れる
 先日、映画館の方から映画は感性を高めてくれますし、たまに映画文化に触れておいた方が良いですよ、と助言をいただいたため、キングコングを観にいくことにしました。
 キングコングは子どもの頃、アニメでテレビ放映されていた記憶があります。オリジナルの映画は観たことはないのですが、今回上映のものはストーリーを再現しながらもCGを活用して圧倒的な迫力で話は一気に展開していきます。ストーリーでは人間とコングの愛情が貫かれていて、自然界に生命を授かっているものはお互いを分かり合えるものだと、先日神主さんから学んだことが頭に浮かびました。

 自然の中で生かされている人間は特別な存在ではありませんが、現時点では突出した存在になっているため、他人に対しても自然界の生物に対しても強い力を行使する方向で行動しています。文明人が存在していない自然界にいれば何でもなかったことが、商業主義に毒された都会から来た人間達がコングをニューヨークに連れて帰ることから悲劇に展開していきます。
 勝手に連れて来られた上、教えられていない人間社会のルールを守らないため銃撃されることになるのです。ひとりの女性がコングと心を通わしますが、弱い立場の女性が権力者からコングを守れるものではありません。立場や言い分を聞くわけでもなく、権力者のルールを守らないものは追いやる姿を描いている様は、さすがにアカデミー賞監督だけあって現代社会を比喩しているようです。

 映画は大量の撮影の中から中身を厳選して情報を観客に提供してくれます。詰め込まれた情報は単に娯楽を提供してくれるだけではなく、監督からのメッセージが詰まっているのです。映画人はクリエイティブな自由人ですから時代の空気を敏感に感じ取っている筈です、映画が作られる背景に必ずあるのはその時代の空気です。同じ映画でも作られた時代や監督によって違ったメッセージ性を持った作品となって蘇ります。

 効率化や合理的なことが第一の価値になっている時代においては、愛や思いやりの気持ちが不足しています。時代が一つの方向に余りにも偏りすぎると、失われたように見られている普遍的な価値が蘇ります。愛や思いやりだけではお金を稼ぐことは出来ませんが、自分の子ども達や将来に伝えたい思いであることは間違いありません。
 勿論、効率化や合理的な考え方は社会を進歩させ、仕事を進める上でも重要なことですから肯定すべきものですが、他人への愛や思いやりの気持ちを併せ持つと、更に今よりも進歩があるような気がするのですが。
 そうすればキングコングのような悲劇は再び起こらないのです。キングコングとは、自然人が文明に適合を余儀なくされ、合わせることが出来ないと社会から退場を命じられる人間を表しているようです。そこに思いやりや愛の感情があっても、社会全体から見ると容赦なく切り捨てられる存在に過ぎません。
 ふたつの概念は相反するものではなくお互いに相容れるものですから、兼ね備えた存在になることを目標にしたいものです。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ