246.見方
 中村修二教授特別講演会に関しての協力依頼に廻った時の会社の反応は様々でした。会社にもよって、或いは技術系と文科系によっても捉え方が異なる反応は面白く勉強になりました。
 基本的に経営者からは中村修二教授に関して好印象はありませんでした。理由は、会社が時間も素材も機材も提供して青色発光ダイオードの研究をさせていたのに、発明した途端に会社への恩を感じないで自分一人だけで発明したような気になり、渡米後訴訟を起こしたことに関して快く思っていないからです。日本企業は従業員を大切に思っていますし、成果が現れない時代でも報酬を提供しています。企業が従業員を働きながら育てている一面があり、若い時代には報酬以下の仕事、中堅時代は仕事と報酬が同等、高齢者になれば仕事よりも企業への貢献度から報酬が多く設定されているのが日本型経営であり日本企業です。
 製造業ではチームワークが大切ですから企業は伝統的な一面を有しています。全面的に成果主義を取り入れると従業員個人の能力に左右されることになり、企業の研究体制は宝くじのようになります。研究者が自由に研究する環境を提供すると、企業内研究者には良い条件となりますが、企業にとっては当たるか当たらないか分からないものに投資を続けることになります。製造業はチームとして仕事をすることで成果を高めているため、総合力でライバルを上回るべきなのです。
 決して個人の力で発明は出来るものではないことを指摘しています。

 これに対して研究者は異なる見解を示してくれます。企業は研究者の仕事の段階で表すと0から10までを創り上げること、製品開発は発明された10から100までを引き受けます。営業、販売部門はその100から1,000のまでの段階を分担しています。0から1,000までの工程があるとすれば、1,000の仕事をチームで行う点では同じです。
 どの箇所を評価するかが問題となります。最もポイントが多いのは、営業、販売部門が請け負っている900ポイントです。研究者のポイントはわずか10ポイントですから比較になりません。
 ところが研究者の評価はそうとは考えません。一番難しいのは0から1へ持っていく段階だからです。最も困難である0から有を生み出すのが研究者の仕事であり、これは優れた個人が存在することで有形のものとして世の中に生み出されます。100人が束になっても創造力を持ち合わせていないと創造力のある1人の研究者に敵いません。無から有を生み出す研究者の仕事は、それ程価値のあるものなのです。最初のステップがあるから次の工程に進むことが可能となりますから、研究者の発明の成果が最も評価されるべきで、日本では研究者が正当に評価されていないと考えています。
 日本の研究者は企業内で地位も報酬も押さえつけられているため、社会的評価がされていない点も指摘しています。プロスポーツでは、野球のイチロー選手は世界を相手に戦っていることから、世界レベルの能力に見合った報酬を得ています。サッカーの中田選手も世界トップレベルの能力に見合った活躍の舞台にいますし、その結果に見合った報酬を得ています。
 ところが日本の研究者は世界レベルの能力があるかどうか試す機会が少なく、仮に世界レベルの発明をしても報酬は追従していない現実があります。中村修二教授がひとつの壁を破ったことで日本の研究者の地位はあがりましたが、さらに研究者の仕事が魅力的にならないことには、誰も研究者の道を歩まなくなる恐れがあります。省資源国であり、自給出来るだけのエネルギーがない日本においては知的資源が頼りです。ですから研究者の地位を高め処遇してあげるべきだとの考え方もあります。

 このように立場が異なると考え方は180度異なります。理屈では分かっていても実例に出会うと本当に勉強になります。ところで研究者をどう考えるかについては、どちらの主張も正解です。
 何もかもアメリカ型経営が優れている訳ではありません。それは成果の全てを金銭で置き換えることは出来ませんから、金銭絶対主義を前面に出すことは日本人の文化にそぐわないところがあります。
 日本型経営で組織力を高めチームで仕事をする方が、より成果を挙げられる場合もあります。全体の力を底上げすることで企業力を向上させること、これも正解です。
 それに対して一人の突出した研究者が登場することで、企業を成長させることもあり得ます。その研究者を大切にすることも企業の役割です。和歌山市にある企業は、研究者への報酬も適切なものにしていますし決して冷遇はしていません。日本人の文化に合った日本型経営と研究者の処遇も考えることを同時に実現させることがアメリカ型とは異なる経営となります。
 いずれにしても、一人の研究者が和歌山市に来てくれることで教授の生き方を素材にして経営を考える契機になることは喜ばしいことです。波紋を起こすことで人はそのやり方が正しいのか否かを考えますから、それだけでも特別講演会開催の意味はあります。

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