237.夏休み
 平成17年夏の総選挙。国政の行方をかけた熱い戦いでしたが、衆議院突然の解散とその後については波紋を投げ掛けました。それは候補者の質についてです。全国的に突然擁立された候補者がいますが、いずれの方も健闘、または勝ちが見えていると聞きます。今回は小泉選挙とも言われ、対立候補は日本国の総理大臣と戦うことになっているため、にわか候補でも当選する見込みが強くなっています。

 しかし国政を任せる大切な選挙なのに、候補者の資質を評価しないで小泉総理の人気だけで選択するのは全くもっと危険です。郵政民営化を叫ぶのは誰にとっても簡単なことで、小泉首相人気を自らのものにするため改革を叫ぶ候補者が国政を担うだけの資質があるのか否か私達が目抜かなければなりません。
 とても国政を任せられるだけの資質がないような候補者でも、小泉党の看板を背負うだけで当選してしまうのは如何なものでしょうか。国政の課題はいつくもありますが、にわか候補達に果たして自分で考え判断できるだけの実務能力があるのでしょうか。国会議員になってから官僚から教えてもらう程度の資質の候補者では、難関が待ち構えている国政で、しかも私達の暮らしを左右する判断の一角を担わせる訳にはいかないのです。でも流れはその向きですから、一体どうなっているのか疑問以上の疑問を感じます。
 選挙結果次第ではこの国の行方が心配になってきそうです。

 さて、和歌山一区でも土曜日午後12時をもって選挙戦最終日の活動を終えました。解散した後の後援会活動から選挙終了までの期間は丁度一ヶ月でした。
 選挙に関わると日常とは異なる特別な感覚と味わいます。私達が体験した何かに似ているようです。人によっては文化祭、お祭りなどと言います。その感覚は当たっていますが、

 今回の選挙戦は高校最後の夏休みと表現出来ます。
 活動の開始が8月11日で終了が9月10日ですから丁度夏の間の一ヶ月です。
 始まる前は夏への期待と、高校生活最後の夏休みだから終わって欲しくないとの思いがあります。そして永遠に終わらないような一ヶ月のような錯覚に陥ります。夏休みに入ってからの毎日の出来事は当初は変わり映えしませんが、日にちが少なくなるにつれて貴重なものであることを実感してきます。日にちが半分を切ると加速度を増して終盤に向かいます。夏の課題や次のステップへの準備など、やり残したことが気になってきますから、まだまだ日にちが欲しいと思わずにはいられません。

 でも計画通り実行していても、終わりの時に対する不安感が増してきます。自分の運命を決するような不安感との戦いは孤独なものです。結果を見たくないから時計を戻したいような気持ちと、逆に早く時計が進んで結果を知って楽になりたいという気持ちが入り混じった不思議な思いになります。

 残りあと一週間になると日にちの過ぎるのは本当に早いのです。永遠に終わらない夏休みも終わりの時が来ることが現実のものとなり、あせりとやり残したことと結果に対する不安が増してきます。最後の一週間は、まるで人生最後の一週間であるかのような貴重なものになります。何を行ったら後悔しないのか、それが分からないのです。終わって振り返ると、どの方法を選択しても少しは後悔するだろうし、全て満足した終わり方がないことに気づきます。全ての結果を出せる人生はありません。

 人生とは満足を得るために歩くのではなく、少しずつの満足を得ることを積み重ねることです。いきなり大きな結果を出すことは出来ませんから、小さな結果を積み重ねることが結果として大きなものになっている、それが自分の中に残せたら満足出来る人生だったと言えそうです。

 夏休みも同様で、夏休み前に掲げた勉強を全てやり遂げられる完璧な夏休みなんてありません。100%に近づける取り組みをすることが過程の満足となり、結果が伴うものになります。何も行動しないで結果が得られることは絶対にありません。結果を残して満足を得たかったら少しずつでも行動すること以外にないのです。
 思いがあれば熱い夏は行動するのに絶好の機会です。

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