236.現場主義
 記事を書くのに現場主義を貫いている記者の方がいます。「現場に答えがある」「足で稼ぐ」などの言葉があるように事件や実態を知るのには現場を訪れる必要があります。最近は情報の流通が早くて、そして詳細に知ることが出来るため誰でも机上にいるだけで一般的な情報の発信者になることが出来ます。

 ところが同じ案件を複数人が発信する場合は違いが明らかになります。例えば、インターネットの情報や主催者などが発表した記事提供だけを頼りにした場合、膨らみがないため底の浅い記事となります。多くの情報は容易に把握出来るため、自分が知識を得る程度であればそれで十分なのですが、他人に発信する場合や他人に伝える場合はそれだけでは不十分です。
 記事提供の裏づけを取るために現場に赴くことが最も重要です。記者の方によると、例えば刑事事件の容疑者の人柄を知るためには容疑者の自宅とその周辺に行くことで人物像が浮かんでくると言います。そして近隣や同級生など数人の方に聞くことで、人物像の輪郭がより鮮明になってきます。同じ窃盗事件であったとしても、故意犯なのか厳しい生活環境から来るものなのかで事件の本質が異なり扱いも違ってきます。
 ある事実を聞いた時にその現場を見に行くことで、普段と違っておかしな点が浮かぶこともあります。

 わが国においては、同じような犯罪があってその結果が同じでも行為に過程の違いで量刑に差が出ることがあります。それは生活環境や生い立ちの違いなど、事件に至る背景が異なるためです。
 現場に行くとその背景が分かりますから、記事を書くにしても記者発表文だけを頼りにするよりも厚みが出ます。時には警察が把握している以上の事実が浮き上がる場合があるとも聞きます。新聞の場合、読者はその現場を見ていないし当該人物を知らないため、新聞記者の文書力とそれ以上に熱意や現場力により受け取る感覚が異なります。言葉の力が受け取る側の思いに伝わります。

 選挙でも同じです。投票結果は開票するまで誰にも分かりません。しかし新聞社各社は凡その推測をして記事で伝えてくれます。各社によって現勢報告はまちまちなのは、個人演説会やミニ集会などの現場に行く回数や候補者に接する回数が違うため、捉える感覚が異なるのです。一回の個人演説会で全体像を知ることは不可能です。複数回、数十回も訴えを聞きに行く、そして日や場所を変えて状況を把握していきます。その回数が多いほど正確な結果に結びつくようです。

 現場力の差だとは言いませんが、そのような要素が絡み合って選挙結果の報道が異なるのです。読者は複数の新聞を読みませんから、一紙の報道や論調によって現状把握を行っています。記事が私達に与える影響は大きいため、新聞記者は朝から晩まで正確で実体に近づけようと取材を繰り返しています。

 私達に訴える力が強い記事は、記者が現場を何時も訪れて感じ取った主観と客観的事実を組み合わせた割合に依るのではないでしょうか。客観的事実の割合が多いと正確ですが訴求力が弱くなります。主観が強くなると記者の思いが伝わりますが、結果に関しては記者の主観に誘導されるような気がします。記事によって主観と客観の組み合わせの比率を変えているようですが、客観的事実をベースに主観を添加するためには現場を調査しておく必要があります。数字や報告からだけでは隠された事実を読み取ることは出来ないことを心掛けておきたいものです。

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