225.社会
 アフガニスタン・カンボジア写真展が縁で、戦争体験者の方と話す機会がありました。子どもの頃に遭遇した戦争体験は今も忘れることはないと言い切ります。絶対に起こしてはならないのが戦争で、悲惨な敗北を経験した日本から平和の雄叫びを挙げなければならないのに、平和と逆行しているように感じるのは怖いことだと話してくれました。戦争経験のない若い世代が、戦争の現実を知らないままに自分の考えを持たないで流されると取り返しのつかないことを危惧しています。

 写真展にはホームページを見て大阪市内から来てくれた方、新聞報道を見て来てくれた方、日曜日に来てくれた人の反響から来てくれた方、そして昨日写真展に来て平和の尊さを思ったので子どもにも伝えたいと思い、自分の子どもを連れて再び来てくれた方もいました。作品を見た後に涙ぐみながら出てくる人も大勢いました。そして驚くのは会場を訪れてくれた方の多くがメッセージカードに感想を記入してくれることです。その全てが真剣な感想であり平和への思いです。会場を訪れてくれた方々の思いを伝えることが関わった者がすべきことであり、そのための行動することです。
 会場前廊下の壁に貼られたメッセージカードの束は平和を感じ取った方々の思いが託されています。とても重い言葉の束となっています。心に灯った平和の灯は多くの人に伝達されることが確信出来る光景です。

 そこで気づいたのが会場正面の写真パネルです。アフガニスタンにいる子ども達が並んでいるありふれた集合写真だと思っていましたが、よく見ると子ども達の顔は土埃で汚れていて、顔が傷ついている子どももいます。集まっている場所は植物のない岩場のような所で、子ども達が生きる環境としては最悪に近い場所の様に感じます。突然、日本で暮らせていることの幸せを感じました。
 最近は、顔が土埃に覆われている子どもを見かけたことはありません。顔が傷だらけなのに手当てをしていない子どもを見かけたことがありません。快適な環境が当然と思っていることに気づいた瞬間でした。彼らは今日を生きるたけでも大変なことなのです。しかも希望を持って生きることは更に難しいことなのです。恵まれた環境にいる私達は、自己実現することは思うだけで可能となります。それなのに思わないのは、実にもったいないことで、懸命に生きている方に対して申し訳ないことです。

 希望を持てる社会。思えば夢が実現する社会。移動の自由がある社会。好きなものを好きな時、好きな場所で出来ることが可能な社会。思い立ったら何時でも勉強が出来る社会。生命の安全がある程度保障されている社会。そして思想、信条が自由な社会。このように恵まれた社会は継承する必要がありますし、世界の国々にこのような社会を拡げることが気づいた私達がすべきことです。

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