223.カンボジア事情
 カンボジアの地雷博物館で働く子ども達は藤原紀香さんに対して「僕の写真を撮って下さい。そして皆んなに知らせて下さい」と依頼があったのです。それは僕のような子どもがいることを世界中に知らせて、これ以上不幸な環境の子どもを増やさないで欲しいとの願いから来るものです。
 この子ども達は、地雷によって足や手を失っています。地雷を踏みつけたり、手で触ってしまって手足を失くしているのです。触ろうとして触ったのではなく、小さい頃地雷とは何かを知らずに触れてしまったり、安全な道路から少し外れてしまったことなどが原因です。

 戦争の後が残っている国々の話を聞くと、平和がどれだけ尊いのか良く分かります。ご飯を食べられる、好きなものが食べられる、ビールが飲める、勉強が出来る、将来なりたいものを目指すことが出来る環境は、一人では作れないかけがえのない環境です。私達が信じきっている当たり前のことが、実は当たり前ではないことを認識すると行動は変わってきます。
 好きなことが出来ることがどれだけ素晴らしいことなのか、考えてみるべきテーマです。
 全て自分を中心に考える人では理解出来ないものです。相手の立場に立った考えが出来る人に自分が変化しないと、この平和は与えられるものではなく築くべきものだという事実を受け入れることは出来ません。

 カンボジアで義足工場に行って義足を持つとそれは大変重いことが分かります。でも実際は人間の足の方が重いのです。自分の足だと自分のものなので重さは感じませんが、地雷の爆破によって足を失うと、自分のものではない義足が重いものであることが分かります。重い義足をつけて歩くだけでも大変なことです。

 身体が健全で勉強することが出来る、夢を実現できる環境にあることの幸せを感じて、未来を信じて後悔のない人生を歩き出したいものです。藤原紀香さんは阪神淡路大震災によって友人を失った経験があります。その時も芸能界入りを父親に反対されていたのですが、好きなことをしないで死んだら後悔すると思って芸能界へ進むことを決めたそうです。好きな道を選択して失敗しても後悔することはありませんが、他人の意見に左右されて他人の示唆する道を選んだ場合、失敗すると後悔することになります。

 今出来ることを出来るまで行うことが今を充実させることなのです。この積み重ねがある人生が充実した人生だと言えるのでしょう。
 人生は後悔を何度も繰り返すほどチャンスはありません。自分の意思で進むべき道を選択したいものです。

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