222.アフガニスタン事情
 藤原紀香さんは2002年にアフガニスタンを訪れたのですが、その実体験から学ぶことはたくさんあります。
 お客さまは神様からの贈り物だと言うアフガニスタンの子ども達は、自分達が食べるものがなくても少ない食料をお客さんに分け与えてくれます。主食のナンは日本人が食べているような柔らかい生地ではなく、硬くて味わいの少ないものですが、子ども達の気持ちがこもった食べ物です。この食料に慣れていない日本人は腹下しするから食べないで下さいと案内人から言われていても、無駄にすることは出来ずに食べたそうです。少し体調を崩してしまいましたが、同じ思いを共有するためには平気だったと言います。

 内戦で苦しんでいる子ども達を励ましに行ったのに逆に勇気をもらったそうです。内戦状態の中のアフガニスタンでは学校へ行きたくても行けません。タリバン政権下では女の子は学校へ行けませんでしたし、男の子でも家庭の事情で勉強をするよりも家庭の家計を助けるために行かない、行けない子どもが多かったのです。仮に学校へ行けたとしても、校舎がある訳ではなく青いシートで周囲を囲ったテントの中で学ぶ程度です。

 でも子ども達は希望を見つめています。藤原紀香さんが子ども達に将来の夢はと尋ねると「飛行場にある飛行機が模型のようにバラバラになっているでしょう。だからエンジニアになって直したいの」、或いは「勉強をしてお医者さんになって病気で困っている人を助けてあげたいの」などの夢を語ってくれたそうです。
 勉強することがどれだけ有り難いことなのか日本にいては感じることは稀です。当たり前のように勉強出来るのは実は当たり前ではないのです。勉強をしたくても出来ない子ども達がいることを知ると、勉強ができ知識を得られる幸せは何事にも代え難いことだと分かります。
 アフガニスタンのまちでは今でも地雷が埋められている場所がたくさんあります。そこに暮らしている子ども達は死と背中合わせです。片道2時間もある学校へ通学するのに地雷が埋まっている可能性の高い道を歩きます。往復4時間をかけて、しかも死を感じる環境の中で勉強をしているのです。
 子ども達に将来の夢を聞くと「日本語を勉強して日本の人に遺跡の案内をしたい」「お医者さんになって手足のない人達を助けてあげたい」と話してくれたようです。苦しい環境にあってもしっかりと夢を持ち大人に夢を語れるのです。
 地雷の埋まっていない安全な道路の幅はわずか2mの場所があります。石に赤い印をつけていてその範囲だと安全、赤い石の外に出ると危険という場所です。決して子ども達が安全に通行できる環境ではありません。
 それでも生活の場所としてその地で暮らさないといけないのです。世界平和に貢献すると言っても世界の現状を知らないと助けることは出来ません。今でもアフガニスタンは日本人が簡単にいける国ではありません。実際に行けない私達は、藤原紀香さんのように現地を訪れた経験のある方から、現地の様子を伺い出来る支援を行いたいものです。

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