206.人生の物語
 入院生活の終盤になって精密検査の結果、少しだけ数値に異常値が見られたため入院を延長された方がいます。まだまだ元気でいてくれるものと信じて会話を交わしました。ある方から一緒に写した写真を預かったので入院先で手渡しました。これは、私達が元気に食事会をした時に撮影したもので、笑顔が満ちた写真です。
永遠に続くように感じる日々ですが、過ぎ去れば一瞬の出来事の積み重ねであることが分かります。

 夕食でも懇親会でも、そこで出会う人と接する時間は2時間から3時間程度です。一日の内でも一瞬の時間ですが、それがかけがえのない時です。同じメンバーで同じ場所で出会える機会は思うほど多くはありません。
 年齢を重ねた人が話すことで多いのは、今まで築いてきた思い出の数々です。それも人との出会いに関するものが多いようです。人生は人との出会いにより、積み重ねられるものであることが分かります。一人で歩いただけで登場人物が少なければ、思い出として語るほどの物語は描けないのです。
 
 そして人生の物語となるためには、何かを成し遂げるために共同で仕事や活動をした経験が必要です。単に一緒にいるだけではなく、プロジェクトを担ったチームや事業を一緒に遂行した体験などが強烈なものとして残ります。 
 長く生きることはそれだけで素晴らしいものですが、その中にたくさんの物語が詰まっていると年齢を重ねても精神的支柱となり得ます。現役時代に目の前に出現する課題やチャンスは避けないで果敢に取り組む姿勢を持ちたいものです。金銭ではない大きな財産となるのは間違いありません。

 そして先月、和歌山出身の会合へ出席のため東京へ行き、貴志川線存続問題について依頼をしてくれていました。「和歌山市に帰ってきた際には是非貴志川線に乗ってください。和歌山市で過ごした思い出がきっとよみがえります」とのメッセージを伝えてきてくれたのです。東京での会合出席者は約100名、貴志川線が存続の危機にあったことを知った方から応援をいただきました。少しでも出来ることはやり遂げておきたいと考えるのがこの方の責任感ある生き方です。
 その後貴志川線の事業主体が決定し長期的存続に向けての枠組みが出来ていますが、その影には精神的に支えていた人や地道に支援を呼びかけている人がいます。大きな課題は直接関わる人だけで解決出来るものではなく、誰にも気づかれなくても活動してくれている方達がいます。多くの方の支援によって物事が前向いて動いていくことが分かります。  
 小さな力が集まることで大きな力になる、当たり前のことですが私達が中々信じられないことを具体的に感じることが出来た事例です。

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