198.自我
 自我とは他人と区別された自分、自分の個性を認識しそれを表現・主張したいという欲求のことです。自分が良いことを前提とした上で、それを表現、主張したいという自己表現、自己主張を意味します。自分の精神に愛着し肯定することは自分の精神が価値あるものと信じることで、この信念が自尊心といい自我は自尊心によって支えられています。

 精神的自我や自尊心を安全に維持したいという欲求は高く、それは時によっては肉体的欲求や物質的欲求よりも強いことがあります。この精神的自我や自尊心の欲求は私達の日常の行動の強力な動機となっています。
 例えば見栄のために高級レストランで食事をすることなど、物質的欲求もその大部分は必要性よりもステイタスシンボルの動機から成り、精神的自我を高めたいとする欲求に他ならないのです。
 このように精神的自我は自己推進的に押し進められますが、これを個性化といいます。

 個性化は必然的に他との異質化を招き対立と争いをも招きます。人間社会における争いや感情的行き違いは、考え方、価値観の違いなどの個性の違いと、自己主張をしようとする個性化に伴う異質化に起因しています。個性化は、自尊心の維持と高揚のための競争のうちに行われます。個性化そのものが異質化であることに加え、他者との背反を招く競争のうちに行われるため孤立化も招来します。
 しかし個性化は文化や文明の発展をもたらします。自分の才能や考え方や感性を主張する結果、文化や文明が発達するのです。

 このような自我と自尊心にまつわる競争や争いを、私達は理性によって緩和しようと努めます。この緩和に最も効果があるのは社会的豊かさの増大です。豊かさは、金や地位や名声、道徳、宗教、芸術の力を弱めます。豊かさの中で人は自分の生活に満足し、その結果、人は人であり、自分は自分と考える余裕が生じます。
 このような個人に対しては社会的威力であった金や地位、名声は無効になり、それらの前で萎縮する事もなくなります。つまりそれらの権威は失われます。

 その結果、道徳や宗教などへの関心も薄れ、それらの持っていた権威もすたれていきます。人は自分の物質生活と程度の低い精神的文化的生活に満足し、高度の精神生活には関心を持たなくなります。物質文明が栄えると精神生活が衰退する傾向に向かうことになります。
 人間は生来、精神的なものへの欲求と能力があります。その欲求そのものは当初は強くありませんが、その欲求が満たされた時の喜びは大きく、一方、即物的で低次な欲求は強いのですが、それを満足させた時の快感は余り大きくありません。豊かな社会において精神が貧弱になる傾向はこうしたことに基づいています。
 豊かな社会は二つの傾向を持ちます。一つは競争や争いなど社会的緊張の緩和であり、もう一つは精神の衰退です。前者は望ましいことですが精神の衰退は問題で、これを防ぐ手段は教育以外にありません。

 私達が暮らすこの現在社会は物質文明の頂点を極めています。極端な貧困は無くなり、人は欲する物を自由に手に入れることができ、レジャーや娯楽産業などで快楽を求める事も可能なように、精神的な特徴が現れていることからも理解出来ます。
 例えば、高級車を乗り回したり華美な服装で着飾ったりしています。一見素晴らしい生活のようですがそれだけのことです。その様な暮らしの中からでは自分の知識や経験は増えず、物質はやがて輝きを失くし価値も無くなってしまいます。

 一方、精神的に充実することは少なくなっています。軽薄短小がひとつの流行であり、苦労して勉学することや地道に努力している姿も他人から見れば何の価値もないとされています。
 しかし、それを成し遂げた時の達成感や新しい知識を得るという充実感は、一度でも経験すると何にも代え難い経験となり、人生において引き続きそれを追い求めていくことにつながります。
 それぞれの価値観が違いますからどちらが良いとは結論出来ませんが、少なくとも生きている以上、精神的欲求を大切にしたいものです。

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