197.やれば出来る
 私達には才能のあるなしに関わらず挑戦する環境を与えられています。そして何事もやれば出来るのですが、そこには達成する難しさがあります。
 多くの人は小学校時代から言われ続けている言葉があります。「やれば出来るのにやらないから」私の場合はそれを聞いて安心しました。「やれば出来るのだから今やらなくても大丈夫。試験前にやればいいや」と思ってしまうのです。

 例えば、点数が悪かった算数の問題。担任の先生も周囲も「この子どもはやれば出来るのだから大丈夫。今はまだやる気になっていないだけですよ」といいます。そのうちが4年生、5年生、6年生となり、同じ意識のまま中学生、高校生になってしまいます。結局やる気になって成績を向上させた経験がないまま社会人になります。
 社会人になって。同じことを繰り返すような生活に慣れると、やがて当たり前のような現状から脱皮することを考え始めます。「今はまだその時期ではないから、状況が変わったら取り組むことにしよう」そして、何の変化もないまま幾つかの年月だけが自分の上を過ぎ去ります。やがて自分が社会において何も達成していないことに気がつきます。

 取り組むことに遅すぎることはないのですが、ひとつでもやる気になって達成させた経験がないとその気にならないのです。
 確かに自分に関することは何時からでも取り掛かれるのですが、やれる時にやる習慣を身につけておくのか、そうでないのかでは将来大きな差が生じます。
 ところがこの頭が残っているのか、幾つになっても「やれば出来るのだから今やらなくても大丈夫」となってしまいます。早い段階で大切なことに気がつくべきです。やれば出来るのは間違いないことですが、やれることが才能のひとつだということを。

 人は自分でも気がつかない様々な才能を持っているのですが、それを開花させるための最初のステップは「やること」です。誰でも直ぐに取りかかれるし、余りにも簡単すぎてやれることを才能だと思わないのですが、これは絶対に才能です。
 どれだけ多くの人がやる気にならなかったために、才能を開花させることなくこの世を去ったことか計り知れません。「いつでも出来る」「やる気になれば出来る」「そのうちやろう」の言葉は、行なわないことと同義語です。「やれば出来る」のですが、適切な時期に必要な行動を起こすのは大きな才能です。

 そこで「やれば出来る」という他人が贈ってくれる励ましの言葉を、「今目の前にあることに取り組まないと何も達成できない。先送りをしないでまずやってみよう」と解釈したいものです。「やれば出来る」とは今の課題を成し遂げるために必要な言葉であって、将来を約束する言葉ではないのです。

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