186.元の姿
 和歌山市都市再生モデル調査結果についての記者発表を平成17年5月12日に行なう予定ですが、その記者発表文を作成しました。何もないと文章は作成しにくいのですが、実績があると比較的簡単です。小さな積み重ねがまとまると結果として現れることに気がつきます。

 インドの言い伝えがあります。(注・原典に基づく正確な言い回しではなく、私が勝手に解釈したものになっています)
 子どもが賢人に聞きました。「この大きな木の元は何なの?」
 賢人は木の種を子ども渡して「これが元になって大きな木になっているよ。元は種だから剥いてご覧なさい」と話しました。
 子どもが種の皮を剥くとまた皮が出てきました。「皮を剥いても皮があるだけだよ」
 賢人は続けて言いました。「その皮を剥いていってご覧なさい」
 子どもが皮を剥き続けると、最後には何も残りませんでした。「何もないよ」
 賢人は言いました。「大きな木でも元は何も見えないのです。私達も見えている部分よりも見えない部分が大切なのです。人は外見ではなく内面をどう磨くかで行動は変わってくるのです」

 私達が行なう見える行動は、周囲にいる人ならば誰でも知ることが出来ます。でもその行動の元になっているのは他人からは見えない心の部分です。心を磨くことで行動も洗練されたものになります。
 外観と比較しておろそかになりがちな内面の向上ですが、この部分に投資することで今とは違った階段に登ることが出来ます。同じ階段に佇んでいては違う光景に出会うことはありません。いつもと違った光景に出会いたかったら、階段を一歩でも上ることです。たった一歩でも視点が高くなると見通しが良くなり、同じものでも見え方や印象が変わります。一歩上ることで見方が変化します。見方が変わると行動も変わります。私達は例外なく限られた時間の中にいますから、同じ枠内に留まる余裕はありません。

 私達の前に立ち塞がる大きな木でも、正体は小さな種でありそれも分解していくと見えなくなってしまいます。私達も小さくて社会全体からすると見えないような存在だとしても、そう考えると巨大な相手でも恐れることはなくなります。

 私達の本質は姿形ではなく、自分でも見ることが出来ない、そして気づかないものにあります。人によって表現は様々ですが、この見えないものを現そうとする言葉があります。 
 意思、宇宙エネルギー、宇宙霊、氣、創造主などが該当します。いずれも見ることは出来ませんが、内面に存在していることは確かです。人間の肉体を極限にまで解剖していくと木と同じようにやがて何も残らなくなりますが、何もないと考えるなら人間の心や志は存在しないことになります。私達は心と何らかの志を持っていますから、その元になっているのは意思や氣で表現される形として存在しないものとなります。存在が確認出来ないものが人間を形作っているのですから、気持ち次第で形は自由に変えられます。
 意思を大きく持てば大きなものに立ち向かえますし、志を持てば大きな壁も乗り越えられます。
 結局物事を達成するのには、身体能力や体制、既存の枠組みではなく、意思や志を持つことにあるのです。

コラム トップページに戻る

前のコラムへ   /  次のコラムへ