128.師であるには
 伝統芸能を地域に浸透、継続させるのは長い年月と根気が必要です。日本の伝統が失われつつある現代、まして習得が困難な芸術を継続するのは並大抵のことではありません。
 長唄もそのひとつです。伝統芸能は長年続いてきただけに技を習得するのは、人生の全てを賭ける程の熱意と粘りが必要です。それでも全てを一生で習得出来るものではありません。それ程奥深いのがわが国で続いている伝統芸能です。
 師匠になっても学び続ける、或いはそれ以上に弟子時代よりも一層稽古を行う必要があります。技能を向上させると同時に、新しい技術を身につける努力を怠らないことが教える立場でいる人に求められます。師匠でも勉強を怠った途端に置いていかれます。弟子を指導するためには、弟子に与え続けられる技を常に吸収し、弟子が追いついてきても更に差を広げておく位の研鑽が必要です。
 弟子との差が縮まるようでは師であり続けることは出来ません。師であり続けるためには家元で稽古を続けることです。一流の人が集まる中で稽古をすることだけが、一流であり続けられる秘訣です。ある程度のレベルに到達すると、一流の人から学ばないと一流にはなれません。
 和歌山市にいる先生は、継続的に東京の家元に稽古に通っていますし、毎日の稽古を怠ることはありません。何万回という演奏の上で一曲演奏するだけの技術が習得出来ます。
 トップは自分を磨くための努力は惜しみませんし、熱意と時間とお金を注ぎ込みます。
 一流の先生は人生の中で進むべき道を見つけ、それに自分の人生を賭けているだけに意気込みは別次元の高さです。数ある選択肢の中から好きなひとつの道を見つけて生涯に亘って技を磨き続ける姿勢に触れると、私のやっていることはまだまだ甘いと認識させられます。トップレベルの人でもそれを維持するために時間とお金をかけ、何年も初心の頃の熱意を保ち続けているのです。ひとつのことを十年継続すればどの分野でも一流になれると言いますがそれだけでは足りません。一流になるためには、どこまで極めたいのか明確に理想を描く必要があります。その途中には挫折がありますが、それを何度でも乗り越えられるだけの熱意の継続が不可欠です。
 上に行けば行く程、格上の師匠に師事する必要がありますから経済的負担もありますし、
到達点も高くなります。もうこの辺りでいいやと思った段階で成長は止まります。
 芸術は地方にいると不利になります。東京だと毎日のように演奏会が行われ、一流の人に接することが出来ます。観客も通のため観客からも鍛えられます。和歌山市では伝統芸能に接するのは一年に一回程度の演奏会だけで、しかも一流の組み合わせとはなっていません。その環境の中でレベルを維持し普及活動を行うのは至難の技です。
 それをやり遂げることを新しい目標にした先生がいます。どれ程大変なことなのか、議員の例を出して示してくれました。
 和歌山市議会議員でいる人がアメリカに渡って、英語も話せない、土地勘もない、人も知らない状況で、州議員に立候補するようなものだそうです。それ程、地方にいながら技を維持し底辺を拡大させるのは困難なことなのです。
 でも一歩ずつ取り組みたいと希望を語ってくれました。義理で演奏会のチケット10枚買ってもらうよりも、1人でも良いから関心のある人に来てもらいたいのが本音です。伝統文化を理解していない人に聴いてもらうのと理解している人に聴いてもらうのでは意味は全く異なります。そして、その人から伝統文化への興味が地域に拡がることを期待しています。時間と費用と情熱が必要ですが、高い理想を描くことで理想は現実に向かい始めます。

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